とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

このたびは

子どもの頃、意味もわからず、それでも楽しんでいた遊び。
小倉百人一首
3人姉妹で、読み手は祖母で…
妹を泣かせながらのかるた合戦だった。

始めてやったのは、小学校の頃だったろうか。
蓋が紫の布張りの箱に入っていて、
居間の棚の高いところに置いてあって、
あれは誰が買ってきたものだったのか?

どうやって覚えたとか、記憶にないが、
その意味の分からない昔の言葉を、
祖母が読んでくれると、なんだか楽しいおまじないのようで、
凄く好きだった。
普段は真面目な祖母が、
「お手付きばかりは〜よしてちょうだい〜」
と読み始める前にうたうと、かるた遊びが始まる。

姉妹それぞれに、必ず取りたい一枚があって、
それは、上の句のうたい出しに特徴のある一枚だった。
私が必ず取りたい一枚は、
「このたびはぬさもとりあえずたむけやま
    もみじのにしきかみのまにまに   菅家」
今でこそ、その意味がわかるものの、
当時はただ、「このたびは〜」「もみぢ」だけが気に入っていて、
詠み人の菅家が実は菅原道真だというのも、
中学生の時に知り、何度も詣でた太宰府天満宮に祀られている
菅原道真の句だということにおお〜っ!となり、
ますます好きになったこの句。
100枚並べた取り札の中から、まずは「もみぢ」を探したものだ。

読み札にお姫様だの僧侶だの、貴族だのの絵が印刷され、
それを使って、坊主めくりも何度もやった。
蝉丸は坊主頭ではないけれども、変な頭巾をかぶっていて、
「この人はぼんさん」
と教えてもらった時、へぇ〜?と思ったものだ。
「これやこの〜」
で始まる蝉丸の句は、姉の取りたい一枚で
私の取りたい一枚と一音目がかぶる。
決まり字が「これ」なのか「この」なのか…
気を抜いていると、姉に取られる。
子どもながらに、お気に入りがあり、
それを共有するというのは、家族ならではだなぁと感じる。

「M姉ちゃんの好きな札があそこ、Tちゃんの札があそこ…」
と、自然に覚えていき、大層面白い遊びであった。
取り札に濁点がないが、祖母がちゃんと読んでくれるので、
その読み方もいつの間にか覚え、
高校一年生の時の冬休みの課題が百人一首を覚える事で、
自分の中では遊びだった百人一首が、勉強になってしまい、
不思議な気分だったし、ちょっと興醒めした。
おまけに冬休み明けの中間考査で、古典の問題は
すべて百人一首からで、ますますげんなり…だった。

それから間もなく、姉が高校を卒業して家を出たので、
自然と百人一首をすることがなくなってしまった。

百人一首のお気に入りたちは、祖母の声で思い起こされる。
ふと、なぜうちには百人一首がないのだろう?と思う。
こんど、実家に行ったときに、あのかるたがあったら、
子どもたちと坊主めくりでもやってみよう。