とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

『いまファンタジーにできること』

図書館にて、借りた本をざっとななめ読み。
ななめ読みながら、彼女のファンタジー論を受け止める。

翻訳出版されてまだ2カ月にもならないこの本は、
アーシュラ・K・ル=グウィンの最新評論集(2009年)
ということだ。
その中には、良く知られる児童文学作品が沢山登場する。

ファンタジーというジャンルの境界線が気になる自分としては、
これはなかなか面白い本だった。
近代リアリズム小説の批評などは、ははぁ、
ファンタジーの基準とはそういうものなのか…と、納得。
また、子どもの本という振り分けについても、
優れた子どもの本というのは、大人になっても
何度も再読する価値があるという言及は大きくうなずけるところ。

この本で一番ぐっと来たのは、
本書の86〜89頁での、『バンビ』評だった。
この作品が去年の今頃、岩波少年文庫から出版され、
今年の初めに読んで、その時の感動ったらなかったが、
その自分の感動を、どう表現したらいいのかわからなかった。
アーシュラの『バンビ』評を読んで、
ああ、そう、そう!そうなんです!と声を上げたくなった。
自分にとっては、
バンビ――森の、ある一生の物語 (岩波少年文庫)
『バンビ −森の、ある一生の物語−』は、
大変リアルな物語として受け取っていたが、
アーシュラによると、動物物語というのは、ファンタジーなのだそうだ。
たしかに、動物の世界というものを、人間が理解することはできず、
その世界を人間の言葉で表現するというのは幻想であるなぁと感じつつ、
つまり、ファンタジーというのは、非現実とかありえないとか
そういう尺度ではなく…その、想像の幅広さ奥行きの深さなのかなぁと思う。
フィクションの中で、自由であり、その自由の中にも、
架空世界の一貫性を求められる、繊細な分野なのだなぁと。

『いまファンタジーにできること』(谷垣暁美:訳 河出書房新社)の中に、
沢山のファンタジー作品の名前が挙がっているが、
この中に自分の好きな本がファンタジー作品として挙げられていることに
驚き、また、ジャンルというものは、人それぞれに境界線が
違うのかもしれないなぁと思った。
絵本『はなのすきなうし』(光吉夏弥:訳 岩波の子どもの本)
はなのすきなうし (岩波の子どもの本 (11)) は、大好きだが、
これをファンタジーと思って読んだことはなかったから。

それにしても、まだまだ読んでいない本、読み返したい本が
沢山出てきて、どこから読んだらいいか…悩みどころである。