とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

場馴れ

家で、こう…あまり変化のない生活をしているので、
外に出て、人を相手になにか会話をとなると、
結構そのあとでぐったりとなる。
家で、家族相手に言いたいことを言っているときは、
別に疲れたりはないし、気のしれた人と話すのは楽しい。
だけど、外で不意の会話なんかで、
なんか、言ってはならないことを言わないように、とか、
きちんと伝えられているかとか?
これは、どう告げればいいのか?とか。


恐らく、それは、気にしすぎなのだろうし、
そんな通りすがりの会話にいちいちみんな気を配ってなど
いないのかもしれないけれども…だ。
場馴れしなさすぎ、なのだろうと思う。
別に引きこもっているわけではないけれども、
一人静かに、自宅にいて、誰ともしゃべらない日があっても、
私は平気な性格で、逆に外に出て、あれはこうだった、
これはああだった…あの時あんなことを言わなきゃ…とか、
そういうことの方が、あとでずずーんと甦ってきて、
はぁーあ…と、ため息が続いたりする。
何もする気にならなかったりね。


そういうのは、コミュニケーション能力に欠けているというんだろう。
そういう私に育てられた子どもたちは、おそらくコミュニケーション能力が
発達していないかもしれない。
しかし、そこをカバーしてくれるはずの学校であり、社会であり…。
それに期待をして、何が悪いのか。


でも、人任せにするっていうのも気が引ける。
せめて、能力不足だけれど、家族にくらいは声を聞かせようと思う。
昨日の夜は、子どもに久しぶりに本を読んだ。
夜遅かったから、子どもは笑いながらもあっという間に眠ったけれど、
『こわいわるいうさぎのおはなし』は、
大変面白かった。
ピーター・ラビットの絵本のなかでは、かなりお気に入りの方だ。
絵が面白い。むフフフ…。
あと、じっくり見ると、見返しの絵がめちゃ楽しいではないか。


『パイがふたつあったおはなし』を一人で読みながら、
あら、ここにもコミュニケーション能力に難儀をしている人(犬)がいるわ、と思う。
しかし、痛い思いをしても、辛く悲しい思いをしても、
一つ失敗すると、経験値は上がるね、なんてことを考えながら、
そうだ、その経験値をうまく使えるかっていうことが、
人生楽しく過せるかどうかってことなんだよなぁと思ったりして。
あんまり、気にしないようにしよう。
それにしても、寒いとかいう以前に、外に出たくない。
それなのに、今日はどうしても買い物に行かないと、
晩御飯のおかずらしいものが何もないのだった。
ああ…もう、人生の半分はとうに終わっているだろうに、
場馴れ修業はいつまで続くのだろう。