一生ものの、感動
私の持っている本の中に、帯に
「一生ものの、感動」
って書いてある物があった。
丁度背表紙に当たる部分。
あまり帯に興味はないが、この帯が目につく。
グエッ、なんちゅう言葉。外したくて仕方ない。
大好きな本ではある。
15編のショートストーリーで構成されている本。
しかし、「一生ものの、感動」って言われると…
興醒めである。
まぁ、感動はするのだけれど、
一生ものの、感動とは…どれほどのものか?
映画などのCMでも、
感動のストーリーと言われると、本当か?と疑いたくなる。
みんな、あまりにも感動感動言い過ぎでは…。
一生ものの、感動か…。
ちなみに私の記憶にある、経験した一生ものの感動には、
どのようなものがあるか、思い出してみる。
子どもが生まれたときは、どちらも感動だった。
普通のお産だったけど。
祖父が亡くなったとき、祖母が棺桶の中を覗き込んで、
「私もすぐいきますけん」
とさらりと言ったこと。
頑固者の祖父に、60年以上も連れ添って、
90歳過ぎてまで寝たきりの祖父を看病し、
あげくに、先立たれたら「私もすぐ…」とは…。
いつ思い出しても胸が熱くなる。
一生ものかぁ…死ぬときは持っていけない感動なのだな。
でも、よくよく考えると、本を読んで感動するものである。
あの本やら、あの本やら、あの本…。結構あるな。
読了して呆けたようになったこともある。
しかし、感動の安売りはいただけない。
みんながみんな、感動するとは限らないし。
いつもいつも、同じ本で感動するもんでもないし。
余りにも「感動」という言葉が氾濫しているので、
「感動」という言葉にごまかされないよう気を付けている。