とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

勝手

ネットサーフィンしていて、ほ〜〜と思う記事を見つけた。
昨年のことのようだが、有川浩さんが、
コロボックルのつづきの話を書くという
佐藤さとるさん公認サイトのブログ記事。


図書館戦争』シリーズが代表作になるのかな、有川さんは。


WEB本の雑誌にある、もう5年も前の作家の読書道の
インタビュー記事を読むと、
―児童文学は単なるラブコメとして読んでいた―
なんて言葉が出てきて、あぁ、うまいなと思う。
そうだなぁ。
読書好きっていうのは、本の中の世界に入り込めるから楽しいのであって、
その世界を自分なりに解釈していいという自由がたまらん。
子どもが、何かを吸収しようと思って、本を選んだりはしないから、
ただ、どういう楽しみ方ができるか、そこに自由を感じたとき、
本好きになるんじゃないかと思う。
単なるラブコメ
コロボックルシリーズもそう言えないこともない。
なんか、どっからか異議を唱える声があがりそうだが。


そんな有川さんが、コロボックルの世界を書くという。
それも、佐藤さとるさんに許可をもらって。
そうか、許可がいるのか。
まぁ、その作品を発表して、売るのであれば、当然か。
なぜ、有川さんは、わざわざコロボックルを書くと
宣言しなければならないのだろうか。


でも、読者というのは、許可も何も関係なく、勝手に想像できる。
読者は今の作品を自由に想像でふくらますことができる。
有川さんが、佐藤さんの書いた人物・コロボックルとは別の、
コロボックルという種族について書くというスタンスは、
佐藤さんに対する、またあのシリーズに対する敬意の表れであろう。


図書館戦争』シリーズは全巻読んだし、文庫を買いはした。
面白かったけれど、あれこそドタバタラブコメであるなぁ。
『レインツリーの国』の感じは好きだけど。
どんなコロボックルになるか、気になるところではあるが、
べつにコロボックルという名前を使わなくても書けるのでは?
と思ってしまう。
子どもたちは、佐藤さとるコロボックルであるとか、
有川浩コロボックルであるという意識はしないだろうし、
書く人が違う以上、その世界感は別物になると思う。
それは、なんだか残念なことだ。いつ読めるのか気になるけど。


勝手に人の創造した世界で遊ぶのは読書の楽しさであるが、
書いて、世に出すという行為は、創作になるのだろうか?
現実的な現代を描くというのであれば別だけれど、
誰かが作った世界を使って、物語が作られるのは、
それは、創作と言っていいのかなぁ?と感じてしまう。
許可をもらっているというのは、勝手にではないのか。


別のことだが、平野啓一郎氏のツイッター7月2日のつぶやきが、
なんだか脳にジーンとくる。
私はツイッターなぞやらないので、リツイートもフォローも
出来ないのであるが、平野啓一郎氏のつぶやきは、
ときどきかみしめると味があるというか…。
7月2日の―ネットの登場による情報のビッグバン―
のつぶやきである。
たぶん、リツィートしている人もたくさんいると思うので、
この言葉で検索をかけると、読めると思う。
おすすめ!の言葉。
いや、ただ、自分の脳に、ジーンときただけ。素敵だぁ。
平野氏の『空白を満たしなさい』が、
早く本の形になりますように。
七夕のお願い短冊へ書きたい言葉。