とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

パターン化

昨晩、ジブリの鈴木氏がTVに出ていらしたのを
下の子と一緒に観ていた。

下の子は、画面の左上の端に出ている
「みろ ひとがごみのようだ」の文字を
一瞬にして見つけてご満悦だった。
ラピュタのあのセリフだね。
自ら「中二病」と言っているだけあるわ…。

仕事の中で、シナリオを決めない映画の作り方の話が。
パターン化しないことで、いいものができる…って。

そうなのか…パターン化しないことが、
いいものに仕上がるって場合もあるのか、と、
仕事について、ちょっと考える。
家事のことも考える。

私の場合、行き当たりばったりなことが多いので、
家事などは、パターン化しないと…
と思っているくらいだ。

結婚してもうすぐ20年だが、
家事はいつまでたっても苦手だし、嫌いだ。
これが、パターン化できて、さっさと
片付いたらどんなにいいか…といつも思う。

最近は、その家事のパターン化によって、
どれだけ時間を自分の物に出来るか!
なんてことを考えるも、実行できずに
時間がどんどん過ぎていくってことも。

この数週間は、自宅にいては、
自分の時間が無駄に過ぎていくので、
学校とかに通うイメージで、
仕事に入っていない日は、
毎日何時に家を出て、学習室や図書館で
時間をきめて本を読む、ということをやりかけた。
でもやっぱり、この「自分の時間」という考え方が
どうもダメだ。
自分はこの時間まで…と思っていても、
子どもからメールがあって、予定時間より前に
帰宅を余儀なくされるということが、多々あるので。
かといって、何もかも子どもの所為にしている
自分も情けなく。
全く、携帯電話の便利なようで、不便なことよ!
(こんなものに縛られている人間ってば…。)
子どものことも旦那のことも、家事やら何やら
あれこれ全部、ひっくるめて自分の時間なのだと
わかってはいるのだが。

仕事によっては、パターン化して、
効率良く行うのがいいだろうし、
創造的なことなど、考えるという仕事には、
パターン化して効率を求めると、
最終的な出来上がり(考察の内容など)が、
いまいち…ってことになるのだろうし。
今やっていることに、何を求めているか、
何を求められているか…そういうことを考えながら
物事を進めて行けばいいんだなぁ〜
とか思いながら、それがなかなかできない自分に
また、情けなくなりつつ、
汚れた流しを磨くのであった…。
20年こんな状態だもん、腹も耐性がついてるわ。

とにかく、時間をかけたほうがいいことがあるってことは、
しっかり覚えていた方がいいと感じたのであった。