とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

乱筆

文字を書いてもいないのに、乱筆と言っていいのかわからないが、
無駄にどうでもいいようなことをつらつらぱちぱちと
ブログ更新したくなる時がある。

こういうものを、自分のバロメーターにしても
良いもんだろうか?と思いながら、
でも、まぁ、日記のようなものと考えるなら、
それもありと言えばありな気もする。

乱筆ぱちぱちのときもあれば、ぱちぱちしかけて、
ダメだこりゃ・・・と、記事を消すときもある。
書きかけて、下書き保存して、そのままの記事が、
どれだけあることか。

同じように、本を読めるときと、全く進まないときと、
図書館に行きたいときと、足が動かないときと…。

朝から自室にある、サブバルコニーへの勝手口より
幼い子供の泣き声がする。
それすら、耳に痛い。
よその子のことを、心配する暇があるなら、
我が子の不登校を心配しろ…と自分に言い聞かせるが、
なにか、気持ちがあちこちうろうろして、落ち着かない。

グン!と落ち込んで、這い上がろうとするとき、
自分の尻をたたいて、気持ちを持ち上げようとする。
巧く行く場合もあるし、早々巧くいくかってことも。

そういう時、言葉が多くなる気がする。
不安があるんだけれども、それを吹き飛ばす為。
本のことだったり、フィギュアスケートのことだったり、
好きなことを考えていると、やる気もいつか起きてくる。

このブログのカレンダーを見ると、
先週四日続けてブログ更新が出来なかったとき、
私の気持ちは急降下していて、
それも真っ直ぐではなく、ぐるんぐるん、
あちこちに振られながら落ちて行き、
もう、何か書いたって、ちょっとやそっとじゃ
自分のやる気なんぞ、起きませんよって感じだった。

しかし、たった四日だ。
私の場合は、どっかに吐き出せば、
椎名誠さんの本の中によく出てくる
「まぁ、いいや、どうだって…」って気持ちになって、
吹っ切れることが多い。
私の人生のほんの一部である我が子のことで、
私があたふたしても、仕方ないって気持ちになる。

楽観主義者ではないし、どちらかというと、
真面目に悩んでしまう性質なのだが、
いい風にとれば、持続性のない性格。
他に、楽しいことやなんかをあれこれ予備軍として
傍に置いているから、落ち込み状態は持続しないのである。

今月初め、実家に戻った時に、
姪っ子の計らいで、今月誕生日を迎える私に、
姪っ子の家族&じじばば(私の両親)から、それぞれ
誕生日おめでとうメッセージを貰った。
姪っ子からはちっちゃな手紙は貰うことがあるのだが、
両親から、それも父など、年賀状はきても、
私に対してのメッセージなど、
貰った記憶もないくらいのことで、
46歳を目前にして泣けた。
特別なことが書いてあるわけじゃないんだけども。

「一家の太陽となって輝き続けて下さい」
と、父。
「私も今、貴女達が歩いている道を歩いてきたのでしょう」
と、母。

おとっつぁん、まだまだあなたの次女は、
太陽どころか、光を貰って光を届けるような、
月にすらなれておりませんよ。
おっかさん、子ども3人に、じじばばのことまで
お世話をしてきたあなたの歩いてきた道よりは、
舗装されたスムーズな道かもしれません。
それなのに、どうしてこうも、先に進むのが
難しいのでしょうねぇ。

金曜日は出校した下の子だが、今日は、
昨日の宣言どうりお休み。
明日は行くらしいけれどもね。

学校に欠席の届けの電話をする前の、
この、腹の中のムカムカが、
電話を切ると同時に無くなるから不思議だ。

さて、こんだけ吐き出したのだし、
今日は気持ち良く仕事に行けそうだ。
行ってきまする。