とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

次に進むよ

梅雨である…大好きな梅雨のはず。
どんよりジメジメ…しかしすきな雨。
今日は雨は降っていないけれど。

久しぶりに家にいる。仕事がお休みだから。
新聞や雑誌を束ねながら、このままじゃいかんなと思う。
今日も、下の子は学校に行かなかった。
これは、不登校というよりは、
しっかり登校拒否なんじゃないか?と思う。
朝から、着替えも済んでいるのに、行かない。
行くつもりなのに、行けないっていうのは、
不登校なのだろうけれども…。
あんたが言うから着替えたけども、行きたかないよ、
というオーラをじわじわと感じる。
まぁ、いいよ。
あんたの人生、先は長い。
ちょっと停滞することがあったってさ。

けど、学校に行かないなりに、何かはしないと。
ゲームではない、何かをさ。

旦那くんが買ってきた
みるみる理解できる太陽と惑星 (ニュートンムック Newton別冊サイエンステキストシリーズ)
を開いてみていた。
興味があるものには、手を出してみるんだな。
旦那くん…点数稼ぎとはこれのことか。

ま、下の子が期末テストを受けることを祈って、
私も次に進むよ。

ということで、今日は次に語るおはなし選びをした。
いろいろ声に出して読んでみて、幾つかに絞ったものの、
これ!というおはなしに決めることが出来なかったので、
また、夜にもう一度読んでみようと思う。

そう言えば、すこし前に読んだ平野啓一郎氏の
ツイッターで、こんなことが書いてあった。

『ある人にとって生涯最高の本が、
 別の人にとっては何の価値もない、
 ということは勿論ある。
 問題はその規模。
 1万人の中で賛否両論なのか、
 100万人の中で賛否両論なのか。』

ツイッターはやっていないので、リツィートもどき。

私の大切な本が、他の人にとっては、
何の価値もない本であるというのは、わかる。
規模が問題になるというのが、
どういうことなのかわからない。
少ない中で、よりは、多い中でつまり、
沢山読まれた上で賛否両論あったものが良いということか?

誰かが読んでいようが読んでいまいが、
自分にとって大切な一冊であることは間違いない。
それはそれで、いいんじゃないかと思うのだが、
「本」という形をとっている以上、
多くの人に読まれなければ意味がないってことか?
読まれなければ長くは残らないということを言っているのか?

こういうところを、ツイッターのような
短い文章から読み取ることは、
大変難しいことだなぁと思う。

この短い文章は、いろいろ考えるきっかけにはなるな。
ツイッターに縛られるのは凄く嫌だけれども。
それで、私は、ときどき覗くくらいしかしない。
それも、ほとんどが平野氏のものだ。
自分では、始めようとは思わない。
平野氏も、ツイッターじゃなくて、こういうことを
本にしてくれたらいいのになぁ。

『空白を満たしなさい』また読みたくなってきた。
でも、おはなしの練習が先だ。