とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

活字の力のまえに

言葉を自分の物にするために、
耳に入れてそのイメージを作る。

幼い頃にかけてもらった生の言葉は、
どこかに深く、刻み込まれている。
たとえ、意味を詳しく知らなくても、
その言葉の意味するところは、なんとなく伝わる。
生の言葉ならば。

本を読んでいて、最近思うことは、
若い頃のようにささっと読み終わることが出来ないということ。
言葉一つ一つをかみしめたいものならなおさら。
物語の展開だけでなく、その言葉の響きやイメージを
大切に読んでいくと、どうしても時間がかかるし、
そういう読書をやっていきたいと個人的には思っている。

昨日、絵本ではあるが、ゆっくりと
『ひとまねこざる』を読んでいた。
読んであげるような子どもはいないので、
声には出さないのだが、
おはなしを語るようになってから、
特に読むスピードは落ちたような気がする。
実際に、頭の中で、声がする。
大好きな人の声、これ、いいでしょう?

ずっと、ある人の声で聞こえていた物語が、
最近、いろんな人の声で聞こえるようになった。
もちろん、実際読んでいるのは自分なのだが。

物語を少し読んでいくと、そのおはなしのイメージが
自分のなかに浮かぶ。
そして、私の身近にいる語り手さんたちの
あの人に読んでもらったらもっと楽しめそうと思ったりする。
その人に、読んでもらっている気で(妄想と思われるか?)
その本を読み進む。あー贅沢な時間。

っていうことをしているので、読むのに時間がかかる。

以前、上の子が期末考査の時、
高校生にもなっているのに、試験勉強に付き合わされて、
倫理の教科書を声に出して読んだことがある。
子どもによれば、試験中に私の声で読んでもらった言葉が
浮かんでくるらしいのだ。

家族の声というのは、確かにたくさん聞いているので、
心に浮かんできやすい。
私にとっても、ぐりとぐらなどは上の子が
「このよでいちばんすきなのは・・・」
と読んでいた幼い頃の声で脳内再生することがある。

しかし、それは、会話があってのことだ。
生の声で沢山聴かせてもらったからだ。
語り手さんたちと仲間になって、
おはなしを聴かせていただいたり、会話を重ねることで、
その人のことも知ることが出来るし、
その声も、語り口も心に残る。

コミュニケーションをとるのは難しいが、
まずは声を発し声を聞くことが基本。
だから、幼い時から、沢山の言葉をかけてあげたい。
かける言葉がみつからなければ、絵本を使ってでも。
「絵本はともだち」とは、巧い言葉だなぁと本当に感心する。
そういう経験の積み重ねで、より本が楽しめる。
楽しい言葉や幸せな気分になる言葉、
好きな言葉を沢山自分の心に溜めていれば、
何があっても、生きていけるような気がする。

活字の力は、否定はしない。
自分も活字に力を貰って生きてきた活字好きだから。
しかし、その前に養われるべきものがあってこそ、
だと今は思う。
言葉に、人の思いやその時の空気や、いろんなものが
くっついて、言葉の持つイメージが数倍に膨れる。
それを楽しめる自由さを心の豊かさであると思っている。

と、コミュニケーションとるのは苦手だと思っている
小母さんでも、そういうことに気付けるのだから、
若い人ならなおさら、実際言葉のやり取りをやって、
心を刺激したらいいんじゃないかなぁ。

と、最近の感動の押し売りのような、ドラマや
コマーシャル等の言葉を見ていて思ったりする。
そんな大仰な言葉を使わなくても、
ちっぽけなものでも、心は感じているだろう。
「泣けなきゃ感動してない」ってことはないだろう…ってね。