とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

頑張ろうと思う

人が、何かをやってみようとか頑張ってみようとか思う
その動機付けは、どこから来るのかなぁと考える。

先日下の子の入学式で、校長先生のお話だったか、
自分ばかりがかわいい人は…云々
周りへの思いやりを持って行動する
というようなことを話された。
一緒に出席していた旦那が、ニヤニヤしながら
こっちを見ている。

私は昔から、子どもたちに
「わたし(orちび)とあっち(or上の子)どっちが好き?」
と聞かれるのが大嫌いだった。
答えようがない。
「どっちも」
という答えは却下されるので、
「私は私が一番好きだ」
と答えることにしていて、もう20年近く
そう言い続けている。
鬼のような母親と思われるかもしれないが、
この答えは本当ではなくて、こうでありたいという
願望である。

誰かを大切にすることは、自分を大切にすることだと思うし、
自分を大切に出来ない人間が、
誰かを大切になんてできるわけがないではないか!
という勝手な持論に基づいている。

自分はこういう人間になりたい
という理想的な人間像を当てはめて、
それとのずれがあると、なかなか自分を好きとはいいきれないが、
誰だって、自分が成りたい自分に向かって
生きているのではないだろうか。
そうして、一生過ぎていくんだろうなぁと思う。
自分をその理想像に近づけるために努力するのは、
自分のことが好きだからだろうと思う。
誰かのために何かをという無償の愛でさえ、
私はそれは、自分を理想像に近づける為だと思っている。

マザー・テレサが自分を一番愛していたかは
しらないが、
自分を愛していない人が、
あのようなことは出来まいよ、と思う。
自分の信念の為に、奉仕してあったのだろう。
それは、彼女が自分を愛していたからだと私は思う。
苦労することを選択するのも、
自分のことが好きだからという理由があって
いいじゃないかと思うのだ。

自分が好きで、自分の理想像に向かって、
頑張ろうと思う。
それが一番のモチベーションになるような気がする。
みんな、自分のこと、好きじゃないの?
(もちろん、自分の嫌いなところはいっぱいあるけどさ)