とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

20140507

どこか落ち着く場所が欲しい。
私にとっての落ち着く場所が、なかなか見つからない。
落ち着くはずの行きつけの図書館も、
最近、ちょっと居心地が悪いので、
じっくり読むスペースにはならない。

恐らく、図書館員さんたちと顔見知り
みたいになってきてしまったからであろう。

それで、ちょっと離れた所へ行ってみた。
初めての図書館は、何だかそわそわする。
しかし、その空間は、何も気にせず
本を読める空間になることもある。
全く落ち着かない図書館もあるが。

伝説のエンドーくん

実は、こういう新しめのYA本は、苦手である。
というか…自分からは手を伸ばしはしないのである。
まだ発行されて1か月もたたない本。
中学校でのおはなし会で、
少しでも中学生に手に取ってもらえそうな、
でも、何か心に残るようなものを…
それも、自分が大好きな古典からではなくて、
と思うと、やっぱり新しい本に手を伸ばさざるを得ない。

というところで、この本に行きついた。

古典程の力強さ、ぐおーんと心に響くような
重みみたいなものは無かったけれども、
サラリ、面白かった とは違う物を久しぶりに
感じたなぁと思う。

恐らく、中学生にとって、学校の先生というのは、
身近な人とはいいたくない壁のあるような存在で、
その、学校の先生がストーリーの中心にあるので、
中学生には違和感かもしれないが、
その自分の知らない先生の見えない部分が、
細かく描写されているのが面白い。
緑山中学の校歌の歌詞にある「清爽」という言葉が
この物語のイメージを言い表すのに良いなぁと思った。
しかし、実際は先生の裏側(見えない部分)は「清爽」とは
かけ離れたものである。
人間臭さ、醜さ、情けなさなど、
子どもたちにはさらけ出しはしないだろうという姿を
読み取り、先生だって自分と同じ人間だという思いが湧く。
14歳思春期真っ只中の子どもたちに、
思春期とは!というストレートなタイトルや、
悩める思春期のある一人を主人公にしてある話だと、
入り込めない部分があると思う。
しかし、この本は初めから壁のむこうの先生たちがメイン。
その学校生活の中に、いろんな子どもたちを描いていて、
この先生、○○先生みたいだとか、
こういう奴いるんだよねぇとか、
そういう俯瞰的な読み方も楽しいもんだと思う。
周りなんか、どうでもいいと思う子も、
もしかしたら、自分の周りをちょっと観察する
そんな生活に変わってくるかもしれない。
先生との壁を取っ払うための本ではないので、
楽に読めるのがいい所である。

実は、大人の自分にとっては、
これは読みながら何だか泣けてくるものであった。
自分でもよくはわからないが、
内容として、感動!というほどのものではないと
思うのだけれど、読んでいくにつれ、
自分の中学時代のことをあれこれと思いだし、
辛くなったわけではないのだが、
いろんな先生のことを思い出したのだ。
大嫌いだった先生のことや、
もちろん、お世話になった先生のこと、
その先生方にも、先生ではない部分があったことを、
未熟な自分たちは理解できない。
それが、今になって、
それでも、先生としてあり続けてくれた
先生方に、また会いたいなぁという気持ちにさせてくれた。

本を読みながら、ぼーっと昔のことを思い出し、
また読み進めては、思い出し…
これは、まっとうな読書ではないかもしれないが、
そういう部分も含めて、豊かな時間を過ごせた。
一冊全部読み終わるまで、席を立つこともなく、
2時間半、私は緑山中学の生徒となり、
34年前中学生になった当時の自分を振り返り、
先生方を知ることが出来た。
いろんな大人がいるんだなぁ、
みんな、一所懸命なんだなぁって…
格好良いばかりが、人生じゃないなぁって。

この本を読みながら、
『きみはダックス先生が嫌いか』
を思い出してしまったよ。
格好良く生きれないことの何が悪い…
子どもの頃、読んだこういう本で、
私の価値観は少しずつ固められたのかもなぁ。
スマートに生きることの、味気無さっていうか。

うん、なかなかいい出会いであったわー。