とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

吉本というと…

ある方のブログを何週間分かまとめて読んでいて、
ふと気になり、何度も読み直した言葉。

「否定的要素に遭わずに読むとお話に入り込み易い」

これは、その方が、荻原規子氏の現代語訳(抄訳というべきか?)『源氏物語 紫の結び』について書かれた文章の、
最後の一文である。

確かにそうであるなぁと、ふと考える。
そして、考えながら、否定的要素とは何ぞ…と思う。
読み易さか?
用いられている言葉の親しさとか、文章の重さのことを
考えていたのだが、「否定的要素」という言葉から、
なぜか私の頭の中に −吉本隆明−という人名が浮かんで
なかなか消えなかった。

昨年から、故吉本隆明氏のことを良く考える。
今更ではあるが、読まねばと思ったりする。

吉本氏が否定的に物事を考えてあったとは
思わないのだが、立ち止まり、疑問に思うということは、
大事なことだと教えてもらったように思う。
群れずに、自分の考えを持つということ。

今週頭に『真贋』を再読した。
ついつい、何度も頷きながら読む私である。
もちろん、「私は、そうは思いません」ということもある。

今日、読んでいた『ベスト・エッセイ2013』に収められている坪内稔典氏のエッセイ「桜と天邪鬼」に
吉本氏のことが書かれていて、また視線が何度も行き来する。

否定的要素であると決めるのは、わたくし自身。
確かに、冒頭で否定的要素にひっかかると、
その先を読みたいと思うかどうか…。
全部読まねばならぬ文章であれば、
否定的要素に引っかかると、その後が苦痛であろう。
しかし、否定的要素と一旦止まって考える疑問符とは、
別物であるなぁと思いながら、
否定的要素という言葉で吉本氏のことを思い浮かべるのは、
大変失礼なことであるなぁと反省した。
私の思考回路の中に、何らかの誤解が生じているようである。

気になる本…『マス・イメージ論』(講談社