とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

よくよく考えると

結婚するまでは、映画は好きだった。
しかし、結婚して、子どもが小さい時に
はじめてドラえもん観に行ったとき、
映画館の変わり様に、なんだか居心地の悪さを感じ、
それ以来、自分から映画観たい!と思ったことがない。

観たい!と思ったりするのは、
例えばフィギュアスケートで映画音楽が使われていて、
それが、とても好きなプログラムだったりしたとき。
それで、そういうのは、もうDVDとかになっているので、
それをみることはあるものの、
自分では借りに行くことはなし。

舟を編む』は私が好きだろうと思ったと言って、
旦那が借りてきたのである。
私のツタヤカードはレンタル期限切れのまま、
もう何年も経っている。

映画館のあの、音の大きさが嫌い。
そんなに大きくしなくても、聞こえるよ、と思う。
迫力?!ちょっと、鈍感になっているのではなかろうか、
人間というのは。

それで、映画館には自分から行くことはない。

そういえば、午前10時の映画祭で、
9月あたりに上映される、『サウンド・オブ・ミュージック
はスクリーンで観たいから行こうと思ってメモしている。

好きな邦画は…『阿弥陀堂だより』『博士の愛した数式』『雨あがる』
それで、全て同じ監督の作品だと気づいた。
私は、小泉堯史監督の作品が好きなのだろう。
あの雰囲気が好きだ。
それで、今年の秋公開の『蜩の記』は、映画館に観に行ってみようかなと思う。
小泉監督は30年近く黒沢明監督の助手をしていた方。
もしかしたら、私は黒沢明監督の作品も、好きかもしれない。
意識して観たことないが。
『乱』とか『夢』とか観てみようかな。

映画から遠ざかっているのは、恐らく、好きな小説を
映画化されると、それはもう、自分の思い描いていたイメージが
見事に崩れているからで…
そういう風に作るんなら、タイトル、変えてくれ!と思ったりする。
クロスファイア』や『模倣犯』とか、もう、がっかりであった。
そう、この頃から映画化される小説が、気の毒でならない。
別物と思えばいいのだろうけど。
だから、がっかりしないために、
好きな小説の映画は観ないように、心がけている。

若い時なら、いろんな映画や小説を手当たり次第に
観ることもいいと思うが、
もう、この年になると、これは、恐らく私向きではないな、
ということを察知する嗅覚ができているのか、
冒険をすることがあまりない。
時々、その嗅覚を騙されたりもするが、
それくらいでいいと思う。
わざわざ自分からは冒険しない。

ちなみに洋画で好きなものを一つと言われたら
『ドライビング・Miss・デイジー』か『太陽の帝国』を挙げるかな。
一つになんて絞れないが。

自分の好きなものを上げていくと、自分が見えてくるような
気がするねぇ。
読書とか、映画とか音楽とか…自分の好きがわかっているのは、
自分の時間を有意義に使うのに役立つと思う。
なんてことを考えた一日だった。