とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

立ち読み

雑誌の立ち読みなんて、随分久方ぶりであった。
昨日、ツ○ヤさんにて、DVDをレンタル後、
書籍売り場にて、『H』をぱらぱら。
窪田くんのヒーロー、ドラゴンボールについて
語っている記事を読んでみたかった。
しかし、やっぱり立ち読みは辞めよう。恥かしすぎる。

今日は、朝っぱらから、母からの電話。
残り少ない40代のHAPPY BIRTHDAY メッセージを貰い、
笑いながら、作っている野菜のことをあれこれ話した。
あ〜齢とったねぇ〜って、すぐそうなる。
母は、まだまだ80にもならないし、
元気だし、私より動けるし…(笑)
それでも、時間って、過ぎていくものだ。
それに、いつまでっていうのは、解らないもの。

齢を重ねてきて、まだまだ分からないことばかりだが、
最近、思うところ…
結局、生物であろうと、物であろうと、
宇宙レベルで考えると、
生きていようが死んでいようが、
人間であっても、原子の集まりで、
それが、無になることはないんだなぁって。
人間らしさというものを、追求していきたいけど、
時々、そんなものは宇宙の何の役にも立たない
ように思えてしまう。
私の中の細胞たちが、一つ一つがもしかして、
何かを考えたり行動したり、作りだしているとしても、
私はその一つ一つを意識することなんてない。
その細胞の誕生や死滅は、繰り返されていても、
私はそれを、意識してはいない。
同じように、街や、国、この地球を構成している人間は、
人間の身体で言えば、一つの細胞のようなもので、
その誕生や死滅を、地球が意識しているとは思えないし、
そのたった一つが無くなっても、
地球に及ぼす影響など、ないに等しい。

それなのに、どうして人間は、こうも、自分達の存在意義を
考えたり、表にだしたり、アピールしたりするんだろう。
ただ、細胞が分裂し、それぞれに決まった役割を死ぬまで
ただ淡々と、続けるように、
人間も淡々と、他の自然界の動物のように生きていければ
それでいいんじゃないかなぁ…と思ってしまう。
物質としての人間を考えると、そうなる。

そこで、考えるのは、見えない「気持ち」「心」だが、
地球にも、そういう物があるんじゃないか?
逆に、意識できないけれども、ちっぽけな細胞の一つ一つが
心をもっているのではないか。
星が一つの細胞で、宇宙全体が一つの生命体と考えると、
その宇宙にも、心があるのではないか…
私たちは、その中で、分子レベルで動いていて、
大きな心や、意思など、意識することなく、生きている。
そして、やがて死ぬ。
私の中の細胞が、もし何のために?なんてことを、考えているとすれば、
それを感じることが出来ればいいけれど、それはない。
ただひたすら、細胞分裂を繰り返す。
何のためだか、解らないけれど、それを繰り返すのが、
生きていることだと思う。
それなら、人間も、次の世代の子を産み、
年老いて、死んでいく…それで、いいんじゃない?
って、最近思う。
上の子二十歳、下の子十六歳。
もう、私の手がなくても、どうにか生きていけるだろう。
そう考えると、あとは、いつ死んでも構わない。
一応、いただいた生は、次に繋いだから。
それなのに、人間は、やっぱり欲が出るんだね。
いつでも死んで構わないと思いながら、
毎日、あれをしたい、これをしたいっていうのが出てくる。
こんなことを考えるのは、人間だけなんだろうか?
象や鼠や、地面に生えた草花にも、
こんな思考回路があるのかなぁ。

田んぼに入った水。
カエルたちが鳴きだして、また一つ齢を取った。
あくせく働くとか、本を読まなきゃとか、
また、逆にだらだらしたりとか…ぺちゃくちゃ喋ったりとか、
そういうことが楽しいけれど、
一体どういう意味があるんだろうなぁと考える。
人の生活に影響を与えると言っても、ちっぽけなものだ。
次へ生をバトンタッチできた私の死は
悲しいものではない。

立ち読みしながら、この行為の意味は…
なんて考えると、くらくらする。
日常のいろいろが、なにやってんだろうなぁに
繋がっていく。
細胞みたいに何も考えず、毎日淡々と生きていけよ、
そう自分に言い聞かしつつ、日々を過ごそう。