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とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

140910

図書館で借りた本

透明な迷宮
平野啓一郎氏の新刊、回ってきたぁ

トニオ・クレエゲル (岩波文庫)
トォマス・マンと言えば、『魔の山』なんだろうが、
あの長編を読める気がしない。
しかし、平野啓一郎氏の本を手にすると、
早くマンを読まねばと思ってしまう。
理由は、だいたいわかっている。

日蝕』を買ったのは8刷で、初版から4か月ほど
経ってからだった。
その初版を買って、読み終わってからだったか、
自宅でとっている新聞に、
― 芥川賞受賞式を終えて ―という平野氏の記事が
掲載されていた。
「飽き足らなければ鷗外を」という見出しも目を引いたし、
なんと言っても、若いなぁ〜というのが、当時の印象。
こんな若い人が(と、言っても、当時自分は31だったが)
日蝕』みたいな小説を書くのかぁと、すごく興味を覚えたものだ。

「 私自身は、かつて、例えば、三島を読み、マンについて
言及しているので今度はマンを読み、マンを読むと
ゲーテのことが書いてあるのでゲーテを読み、
ゲーテを読むと……といった具合に、読書の幅を
ひろげていきました。普段は本を読まない人が、
今回の騒ぎの中で『日蝕』を読み、なお飽き足らずに、
鷗外を読むようになり、ヴィヨンを読むようになるのであれば、
それはそれで意味のあることだと思います。
 物体を動かそうとするときには摩擦による抵抗が生じますが、
いったん動き始めると、あんがい楽に動くものです。
読書の習慣も、それに似ているのかもしれません」

西日本新聞 朝刊 1999.3.2)

これは、記事のほんの一部、最後の文章を書きだしたもの。
当時、平野氏は24歳になる前だったはず。
その、落ち着きであったり、はっきりと自分の思いを
(例えば、反論は避けられなさそうなことでも)
しっかりと綴るという姿が素晴らしいと思う。

この切抜きを、今でも、折りたたんで『日蝕』に挟んでいる。
元々、活字を読むのが好きだった自分が、
読書というのは、学びの為というわけでなく、
個人の愉しみなのだなぁと感じた瞬間だった。

平野氏は福岡出身ということもあってか、
地元紙にときどき提論−明日へ−なんてのが掲載されて、
(ネットでも読めることに今更気づいた)
今でも変わらず、自分の思想などを著しているものを
よく読むことができる。
好きな作家さんだなぁと思う。
彼の小説は自分には難しくて、
まだ手を出していないものもたくさんあるけれど。


ふしぎなオルガン (岩波少年文庫)
昔ばなしを語るのに、あれこれさがしたあげく、
結果、創作、レアンダーの童話集を手に取ってしまった。
昔ばなし…語るおはなしを探すのが、なかなか難しいのである。
でも、今週中には、決めてしまわなきゃ…
もう、何か月も悩んでいるばっかりだ。