とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

また逃したという報道

昨日のNHKのニュースで、
間もなくノーベル文学賞発表という内容のニュースが。
村上春樹の受賞を願うハルキストなる人たちが、
カフェで読書中の映像が流れ、なんだか鳥肌が立った。

それから間もなく、ネットで、村上受賞逃すのニュースを見た。

ノーベル文学賞を受賞することは、
名誉なことだろうが、そのために書いている作家など
いるはずがない、と私は思う。
だから、「逃す」という報道は、
いい加減辞めたらいいのに…と思う。
そりゃ、受賞となれば、国内では盛り上がるだろう。
しかし、そのことで、
村上さんがマスコミに引っ張りだされるとしたら、
まぁ、受賞はなしでいいか、とも思えるな。

それにしても、あの映像は衝撃だった。
多崎つくるの発売の時に、早々に購入し、
その辺で立ち読みする人たちの映像をみたときも
衝撃だったが…

どんな状態で読もうと、それは個人の自由だろうが、
肩寄せ合って、本を読む姿の、
なんと滑稽なことか…いや、滑稽っていうのではないな。
私には、理解のできない…
あれは、作りものだろうと思わせる映像であった。
肩寄せ合って読むことがあるとすれば、
今はほとんどないと思うが(半分以上はスマホか?)
電車の中で読んでいる人々なら受け入れられるんだが。

村上春樹で書いた日記をさかのぼると、
2011年に、やっぱり「逃した」というニュースのことを
書いている。
毎年毎年候補者に挙がっているというニュースがあるが、
これは、確証のあることなんだろうか?
候補に挙がっているらしいってことじゃないのか?
自分で立候補したわけでもないのに、
「逃した」なんて言われるのも、気の毒な話だ。

そんなことを考えていたら、「壁と卵」のあの挨拶文を
また読みたくなった。こんな未明に…。
いや、こんな未明だからこそかも。