とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

子どもって不思議だ

いつの間に、こんなに大きくなってしまったのだろう?

21歳の娘も17歳の息子も、もしも私がいなくなっても、

もう、生きて行けるような気がする。

 

父が、蜂に刺されて、救急車で運ばれた話を、

数日前記事にしたけれど、

あの時、父が、お迎えがきてもいいと思ったという言葉を

まだまだ!と思って聞いたのだけれど、

もう、役目は果たしたなぁと思ったのではないかと、

そういう風に理解できる。

私も、もう、この子たちが自分たちの世界に出て行ったら、

いつまでも、この子たちの母親として生きてなくてもいいなぁと思う。

 

母親が居なくては、生き伸びることができない時間は、

あっという間に過ぎた。

もちろん、その時間、母親の方は、

一体いつまでこんな日が続くんだろう?と、

辛さを感じているばっかりだった。

抜け出せないトンネルだとか、家族からの呪縛なんてことを

考えていたこともある。

成長していくにしたがい、母親から離れ、

母親の知らない世界を知り、自分の世界を作り上げていく。

10歳過ぎたら、親なんて、餌を運ぶ親ツバメみたいなもんだ。

あとは、飛び立つまで、親から離れた所を飛んでみたり、

自分で食べ物を探したり…。

いつの間にか、母親の手は要らなくなってくる。

それは、喜ばしいことだな、と思う。

逆に、母親の手は、子どもの世界をぶち壊そうとする。

 

私が結婚したとき、送り出す際、母は涙を見せたが、父は笑顔だった。

喜ばしいことに、なんで泣く必要があるのかというようなことを言った。

一番の祝福の言葉だったように思う。

 

上の子が、3か月間のインターンシップを終えて、

彼女の希望通り、その会社に来春入社することが内定した。

昨日、その報告をもらって、ホッとすると同時に、

どういう感情だかわからない涙が流れた。

ようやく、一人から、お暇を言い渡された気分。

まだ、この先、いろんなことで悩むだろうけど、

もし、明日、ばったり命を失くすということがあっても、

もう、大丈夫だなぁと感慨無量である。

 

母親として、これ以上の幸福感はないのではないか。

我が子が、私と共有していた世界は、本当に狭いものだ。

これからは、母親としてだけではなく、

社会に生きる一人の人間として、彼女とつきあえることが、

とても嬉しいし、幸せだ。

 

彼女にとっては、この内定は、生涯が決まったものではない。

彼女の第一希望が他にあることは、よく解っている。

私が彼女の夢を(本当に夢だなぁと思うのだが)応援するのは、

若い時、彼女と同じ夢を追った時期があるからかもしれない。

その頃は、もちろん、夢でしかなかったが、

彼女はそこに向かってゆっくりだが、確実に一歩ずつ近づいている。

就職することは、本意ではないかもしれない。

回り道してると感じているかもしれない。

でも、自分が生きていく場所を、ひとまず見つけた彼女に、

全力で、背中を押してあげたい。

 

我が子我が子と考えてきたが、

いつまでも私の子どもでいてもらっても困る。

しっかり社会の一員になって欲しい。

彼女が卒業するまであと5カ月。

それまでは、まぁ、もちっと甘えさせてやってもいいか。

 

あぁ…二番目が社会に出るであろう日まであと3年半。

まだ結構あるなぁ~~。

早くその時が来ればいいのに。

なんてことを考える私は、かなり冷めた母である。

そして、その母親像は私が目指しているものである。

我が子と切り離した自分の世界を想像すると、ワクワクする。