読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

図画工作は嫌いだった

小学校の図画工作(図工と言ってたね)の時間や、

中学校の美術の時間は、はっきり言って、嫌いだった。

自分が新しく何かを思い描くということが、ヘタなのだと思う。

何かあるものの、アレンジ、独創性のない真似、

自分の描いたり作ったりするものは、全部そうだった。

 

2歳上の姉は、反対に、自分でいろいろ考えて作り出すことを

とても得意としていた。

姉が高校時代だったと思うが、

父が姉に、デザイン関係をすすめていた記憶があって、

姉のそういうところが父にはよく見えていたのだろうし、

そういうところを嬉しく思っていたのではないかと、想像する。

私はそういうことで、ほめられた記憶がないので、

やっぱり姉のそういった才能は光っていたのだろう。

50になった姉の暮しを、ネットで覗いてみると、

やっぱり独特だわねぇ~と思ったりする。

 

そういう姉の真似をするしかなかった私。

夏休みの工作も、必ず姉の真似っ子をした。

絵をかくのも、何か作るのも。

でも、学校の授業では、姉はそばにいないので、

真似することも出来ない…

だから、学校の授業の図画工作が、本当に嫌いだった。

真似したからと言って、うまく描けていたわけじゃないけど。

 

何かをもとにして、ちょちょっとアレンジして、

そんなとこは、やっぱり40年経っても変わらない。

 

そういう図画工作が嫌いな者にも、

有無を言わさず、何かを描かされる、作らされるという

試練があって、仕事となれば、断ることもできないし、

やっぱりお得意の、何かお手本を見つけて

ちょちょっとアレンジってのをやってみた。

それでイケルと思ったのか、なぜか、ポスター描きや

手描きのチラシをちょくちょく受け持つことに。

はじめっから、嫌いですといっときゃ良かったと、後悔したものだ。

 

その仕事は辞めたけれども、おはなし会で、

やっぱりそういうことをする機会がある。

最近、パソコン使って作ることが多いのだが、

やっぱり、手書きのほうが訴えるような気がするのは、

私だけだろうか?

ワードなんかで作ったプログラムや案内文書は、

どうも、どれも似通って見えて味気ない。

 

なんてことを言う私だけれども、やっぱり、

ちょちょっとアレンジする元は、パソコンのネットで、

人様の絵や、工夫をお借りすることになるのだが…。

 

今、お仲間募集のポスターを作成中。

フレームをペイントで書こうとしたが、マウスが言うことをきかない。

フレームやイラストは手描きでかいて、スキャンすればいいよ

と、娘の忠告を受け、今日は、空いた時間にお絵かきの予定。

知人ちにお宅訪問もしなければならぬので、

今日出来上がらないと思うけど、急がねばならぬ。

 

折り紙や、裁縫や、編み物だって、

手先がある程度器用であることは自覚しているのだけれど、

やっぱりアイデアは生まれては来ない。

だから、作り方を見て、その通りにやって、

出来るだけ丁寧に、美しく作るということは出来るけれども、

それは、折り紙が得意とか編み物が得意ってこととは、

別物のような気がしている。

教科書やお手本は大事である。

学ぶというのは、「まねぶ」からきているらしいが、

いくら真似しても、0から作り上げるってことは、

別の能力が必要なのだろう。

そのことをちゃんと悟って、一生懸命真似る私である。