真面目はいけない?
ある知人宅を訪問し、茶などしながらいろいろ話す。
本当に、色々な話だ。
知り合って、長くない。
いろいろと個人的なことを話すことは皆無で、
今回のお宅訪問は、ちょっとした打ち合わせも兼ねてのご招待だったわけである。
あることに真面目に取り組まれていることや、
もともと学校の先生をしてあったことや、
そういうことは、知ってはいたが、
はっきり言って、このお宅訪問は、ほんとうならば、
すっごく構えなきゃならない訪問だったのかもしれない。
しかし、私も齢を重ね、ずうずうしさも増し、
初のお宅訪問もちょっとした手土産だけ持って、
ホイホイと上がってしまう。
何の躊躇もしない。構えることも、防具を身につけることもせず。
その人は、私に、お子さんの事や、自分の中学時代、
高校時代から大学へ入るまでの事を、
真面目に、でも面白く話していく。
私より、ちょっと若いその人も、
私がそうだったように、ちょっと田舎の出身で、
真面目に優等生をしていて、
でも、その真面目さをなぜ悪く言われるのか解らなくて…と。
似たような経験をすると、考え方も似るのかな?
そんで、なぜか同じようなことを考えているような人を、
どうも見つけ出す嗅覚が備わるのだろう。
私の子ども時代を詮索することもなく、
自分のことを話し始めた彼女の話を、
やっぱり、身構えることなくきいていた。
なんだか、幼なじみだったような感覚で。
若い頃に、こういう友達が隣にいたらなぁ~的な感情で。
人が、真面目に考えることを、普通に受け入れる社会であればいい。
そんな風に、二人でかってにテーマのなかった話を
うまくまとめて、おいとました。
なんというか、心の中がすっきりした3時間半だった。
不思議な気持ち。
そんな、深いお付き合いをしていないのに、
自分を晒すように話す彼女の話を聞きながら、
若い時、きっと真面目にしていたことで、
嫌な思いをたくさんしただろうなぁと、容易に想像できた。
近くにいたら、きっと、慰め合い、励まし合い、
頑張れただろうなぁと、そういうことを、想像した。
中学時代に戻りたいとは思わないが、
私の「真面目はいけない?」の弁論を、
彼女なら、自分のこととして聞いてくれただろう。
年をとっても、こういう友達が出来るということは、
生きてる醍醐味であるな。
えんもゆかりもないところで、自分と似たような人と出会う。
そういう出会いがあるってことを、身をもって感じ、
こういうであいがあることを、若い人たちにも知って欲しい。