結局は趣味になるのか?
結局、図書館にはいかずじまい。
用事があるのは、お隣の建物だったので。
2時間の会議は大変神経を使って、疲れてしまった。
人にものを伝える、尋ねることは、
なんと難しいことだろうか。
気になる本、読みたい本がある。
あなたならどうする?
お財布に余裕があれば、買いもするだろうが、
私はまず、図書館にあるかどうかを調べる。
最寄りの市民図書館になければ、
県立図書館の横断検索をして、
近場の図書館で借りることができるかチェック。
それを、市民図書館にリクエストすると、
その近場から相互貸借で、準備してもらえる。
けれども、新刊とかだと、結構新しく図書館に入れてもらえたりする。
それって、何だか、凄く無駄をしているような気になる。
いや、沢山借りて欲しい本とか、
大勢の人が、借りるだろうと思われる本ならいいのだ。
ただ、私がちょっと気になった本で、
それが、一般的に借りる人はあまりいないだろうっていうような本だと、
市税を使って購入なんかされたひにゃ、
申し訳なくって、次のリクエストが怖くなる。
一言、「○○図書館にあるみたいなんですけど」と、
伝えることが出来ればいいんだろうけどね。
本当ならば、自分で買って、
作者に次もいい作品を書いてもらうというのが、
正しいのかもしれないけれど。
本を好き勝手買うような経済的余裕はないから、
やっぱり図書館は頼みの綱である。
本を共有するのは、結構難しいと私は考える。
物としての本でなく、その本の内容の共有は特に。
本のことを、「読みたい」と思わせるように紹介することも、大変難しい。
よく知った人にですら、なかなかお勧めはできない。
読書というのは、本と、自分の内面との対話である。
私が心から良いと思ったとしても、
別の人間からしたら、「つまらん」ってことになる可能性は大。
結局、読書は、個人の楽しみであり、趣味ってことになるのだろうか。
この頃、私はオーケストラの演奏をテレビで頻繁に聴いている。
この絵本のことを思い出す。
左はすえもりブックス。こちらで先に知った。今は絶版。
右は、なかがわちひろさんの新訳で、あすなろ書房から出た。
ひとつの交響曲や、協奏曲などを、
大勢の仲間と共になって、作り上げる。
オーケストラなんていうのは、そういう物だと思うのだけれど、
105人(編成は様々だろうが)いて、
それぞれ、別々の人間の集まりで、
皆が同じ解釈というのは、難しいと思うけれども、
それを引っ張っていく指揮者という存在があり、
一つにまとまっていく。
書物により、そういうひとまとまりになることは、大変難しいと思う。
それは、なぜだろう??
オーケストラは、その曲を個々が表現する。
そして、個々が魂みたいなものを一つにしてこそ、
素晴らしい演奏になるのだと思う。
書を読むということは、表現ということではない。
自分の頭・心で読んでいくもので、外には出さないように思う。
けれども、実際はどうなのだろう。
結局は趣味、と思ってもいるが、
実は、読むことで、自分の考え方だの行動だのが、
変わってくるということはよくある。
同じ書を読んで、共感した人たちの人生は、どこかで
共鳴し合うものがあるんじゃなかろうか?と思っている。
だから、単なる趣味とは、言いきれないと思うんだよなぁ。
だれか、この辺りが大切な一冊だという人と、
話してみたいなぁと思ったりする。
人見知りの私であるが、
初対面でも、なんだか懐かしいお友達のように
語り合える気がする。
そしてそれは、ただ単に、同じ趣味の人とは、
わけが違うように思うのだ。
読書によって、生き方に影響が出ることが、
1つの表現になっているようにも思う。