とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

ようやく

 

 

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ようやく「だれが鐘をならしたか」を

お仲間にきいてもらうことができた。

まだまだ…だけど、

来年の冬の朝の読み語り(中学生へ)に出したらいいと

言ってもらえたので、これからごしごし

ブラッシュアップしていこうと思う。

 

年明けの朝の読み語りは、お助け当番なので、

今持っているおはなしのどれかを再度起こすことにして、

次は「はなのすきなうし」を練習しようと思っている。

だいすきな絵本。

でも、中学生には、語りでいこうと思う。

グリム童話の「三枚の鳥の羽」か「かえるの王様」

もしくは「白いへび」を来年の6月向けに、覚え始めたい。

 

昨日、『クリスマス物語集』の中のおはなしを、

いくつか読みなおしてみた。

ラーゲルレーヴの「クリスマス・ローズの伝説」や、

ファージョンの「セント・ニコラスのはなし」を読むと、

クリスマスというのは、気持ちが浮き立つ時間とは、

実際は別物であろうと思われる。

私はキリスト教信者ではないのだけれども、

この『クリスマス物語集』こそ、クリスマスに子どもに手渡すのに

相応しい本であるように思うし、

大人も、この物語たちを読んで、自分の心をしっかり

見つめることが必要なのではなかろうか。

ただ、煌びやかで賑やかで、楽しいだけの日にしておくのは、

イエス様に気の毒である。

オーデンにしろ、ラーゲルレーヴにしろ、ファージョンにしろ、

子どもに向けて、このように人の生き方、心の持ち方を

まっすぐ伝えようとしている作家には、

本当に感謝こそすれ、

地味だとか、時代遅れだとか、そういう風に受け取ることは、

大変失礼だなと思う。

人間の根本にあるものは、時代が変わっても、

変わってはいけないものが沢山あると思うのだけれど、

世の中は、新しく新しく変わっていき、

昔のものを全て、時代が変わったからと

手放していく風潮があることは、とても危ういことではないか。

 

「だれが鐘をならしたか」を、現代の子どもたちが、

どのように受け止めるかは未知だけれども、

語れるだけ語って行けたらなぁ。

子どもたちに、そういう美徳というものがあることを、

知って欲しいなぁと感じる次第である。