とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

沈みがちな心に

このところ、気持ちの浮き沈みが激しいように思う。
あー、更年期かなぁ、なんて思いながら、
なるべく、自然に目を向けるように
心掛けている。

自分も人間でありながら、
人間ってのはさぁ、なんていうのは、
偉そうだなぁと思うけれども、
なんか、こう、人間社会にいると、
疲れてくるので、やっぱり、おひさまに照らされて、
静かなところで、暫く言葉を発することもせずに、
耳を澄ましていたいと思う。

昨日は、サイクリングイベントに参加した。
鳥たちのいきいきとしたさえずりに、
その会話にまぜて欲しいと思ったり…
人間だけが言語を持っている高等な
生物であるなんて、馬鹿げた考えよ、
なんてことを考えたり。

ひたすら黙って、歩いたり、自転車に乗ってたりすると、
なんだか、いろんなことを考えて楽しい時間を過ごせる。
誰も、遮ったりしないから、深く深く、
とことん、深く考え、また広げていくこともできる。

「雄弁は銀、沈黙は金!」
あらためて、全くだと思う。
自由に心の中をジャバジャバと泳いでいく
自分の思考と同じように、
気持ちも晴れていくのが、よく解る。

しゃべっている時の自分が、あまり好きじゃない。
あとから、嫌な人間だなぁと思う自分は、
だいたい、誰かと言葉を交わしている時の自分。
上手く、自分が考えている事を言い表せないから、
へんに上手く言い伝えようと無理をして、
自分の考えていることが伝わらなくて、いらいらする。
そのイライラは、自分の伝える言葉の拙さというよりは、
言葉のチョイスを間違っているところからきていると思う。
自分が使いたい言葉を引き出しから引っ張って来れないで、
それでも無理して話そうとした場合、
こういうイライラにぶち当たる。
だから、黙っておけばいいのにさ!と思いながら、
まだ喋っている自分。厄介だぁ。

だいたい、どうしても自分の言葉で伝えたいことって、
そんなにたくさんあるはずもないのに、
どうして、私は喋っているんだろう??

清水眞砂子さんの本を読みながら、
胸の奥が傷んだ。
これまでも何度も、清水さんの本や話に、
気付かされていたはずなのに、
また、読みながら、進歩のない奴だなぁと
頭を抱えてしまう。

まだ、読んでしまっていないけれども、
やっぱり、いいなぁと思いつつ、
厳しい人だなぁとニヤニヤしてしまう。
ポリポリと頭を掻きながら、
いつになったら、私は、自由人になれるのかと、
大学一年の頃からの悩みがまた復活してしまった。
読書って、なかなか自虐的な行為なのかもしれん、
そう考えてしまう、電車の中の読書タイム。

そして読んでいる本は、この二冊。
子どもとことば (1982年) (岩波新書)
大人になるっておもしろい? (岩波ジュニア新書)
清水眞砂子さんの新刊は、読みながら
胸が熱くなったらすぐ閉じる。
そして、一呼吸してまた開く。
胸が熱くなるだけじゃなく、痛いんだけど、
それでも、やめてしまうことはできないんだ。