とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

好きと嫌い

大人になるっておもしろい? (岩波ジュニア新書)
結局、南国鹿児島へのおともに、この一冊。
読了の後、あちこちを拾い読み。
清水眞砂子さんの講演の時のお声が脳内で甦る。
Kさんへのお手紙的文章なのだけれど、
この語りかけ口調は、自分へ向けて、
話しかけてもらっているようで、
どうしても、ゆっくりと考えながらよみたくなるし、
実際、応えながら読んでいった。
こういう本を、中・高校生の頃読むことができていたら、
きっとただぬーぼーとした日々を送るってことは
出来ないだろうと思い、
自分の学生時代を振り返り、歯がゆくなってしまう。
今更ではあるが…(もう28年ほど昔だし)

この本の中で、特に、自由ということと、
尊敬という言葉について、考えた。
友人と、尊敬という言葉について、
先月話したばかりだったから。
それから、挙がっている映画が気になるところ。
そして、もちろん、本に関しても。

清水眞砂子さんのことを考える時、
なぜだか、平野啓一郎氏のことが思い浮かぶ。
それから、高橋源一郎氏のことも。
どうしてか??
なんとなく(こんな言葉でいいのかわからないが)
自分の考えをはっきり表に出す人、というイメージが強い。
そして、その考えが、恐らく、多数派ではないような
そんな気がする。
そして、そういう人たちのことが、
なぜか、私は好きである。
この頃、又吉さんの(小説は別として)TVでの言葉
などにも、どうも同じ印象を持っている。
おっしゃっていることは、皆、私にとっては
全部が全部とは言わないが、大きく頷いてしまうこと。
けれども、それを声を大にしていうことは、
なかなか難しいことであると思われる。
でも、言葉を濁さずすぱっと表に出されることに、
共感したり、憧れたりする。
特に、「これ言っちゃったら、周りはひくだろうな」
っていうことも、平気で口にされるように思う。
いや、平気かどうかはわからない。

人を傷つけることではなく、
彼らの信念がそこにあるように思えるから、
憧れるんだろうなぁと思う。
好きと嫌いがはっきりしている人。
だけれども、きっと彼らは、
なにかのきっかけで、好きを嫌いにも
嫌いを好きにも変えることができる人のように思う。
優柔不断という意味ではない。
柔軟性と言った方が間違いがないと思う。

今日、宮澤賢治の『注文の多い料理店』の序を
改めてゆっくり読み返した。
宮澤賢治の書く物語の世界もまた、私の憧れである。