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とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

形が決まっているものは安心する

もともと、グワーッと売れる本には手を出さない。
今年初め、文學界2月号が増刷!
という、前代未聞の事態。
又吉氏の初小説を読みたさに、文學界を買い求める人が
沢山いる、という状況を、ちょっと疑っていた私。

だけど、アメトークとか、オイコノミアとか、
IPPONグランプリとか…
又吉氏をテレビで見るにつけ、
この人なんか、好きかもしれんとは思っていた。
そして、本好きなひとは、きっと、
又吉氏って、どんな小説を書くだろうと
期待していたとは思うのだ。
だから、私も文學界の2月号を、図書館に読みに行った。
単行本になって、ビャーッと売れる(ことはないにしても)前に
読んでおきたいとおもって。
こういうところが、あまのじゃくである。

まさかね、こんなに売れまくるとは想像もしていなかった。

でも、200万部ってねぇ。
みんな、その本、一生大事にしてくれるの?って、
そう思う。特に、アマゾンのレビューなんか読むと。
そこまで、けちょんけちょんに書くかね?
と、疑問に思う。
私は、『火花』自体は、嫌いではなかったが、
単行本を買うほどではなかった。
次回作に期待、って感じだった。
決して、けちょんけちょんに文句つけるような
そんな感じではなかった。
それは、又吉氏が、かなり、読み易い文章にこだわり、
同居人に読み聞かせて、わかるかどうか聞いていたという
エピソードにも、表れている。
でも、『第二図書係補佐』なんかを読んでいると、
もっと、捻った文章も書けるような人だと思う。
もっと、グーッと、凝縮した難しい言葉も選べる人だと思う。

『カキフライが無いなら来なかった』とか
『まさかジープで来るとは』とか、
カキフライが無いなら来なかった まさかジープで来るとは
自由律の俳句の中に、又吉氏の使う言葉と、
彼の笑いの力がいっしょくたになって入ってて、
かなり、気になる。
ちょっとまえ、NHKの俳句の番組にゲストで出ていて、
真面目に話している又吉氏を見ていて、
いろんな言葉を使って欲しいと思った。

俳句というのは、五七五という定型があり、
小学校の時から、国語の時間に習う。
もちろん、字余りとかも、習うのだけれど、
その、基本しか知らなければ、
自由律俳句というものは、その一句だけ読んでも、
それが、俳句の仲間であるとは気付かないだろう。
俳句っぽいと思っても、何だか不安定である。
五七五というリズムに、安心できるからか、
「せきをしてもひとり」
と読まれても、それが、俳句だと思えない。

けれど…ですね。
削って削って、ここまでスリムにして、
それでも、その情景や心情が想像できるという
究極の詩のかたちかなぁと感じる。
また、その一句が、自分の中にスーッと入ってきたら、
勝手に、いろんな想像とか妄想とか広がって、
一つの短編映画みたいなものが、
見えてくるってこともあると思う。

芸人又吉直樹氏は、偏った読書しかしないおばさんに
そういう、面白さを教えてくれた人でもある。

俳句の先生とかも、え?この言葉だけで、
そんなとこまで想像しちゃっていいの?と
思うようなことを解説してしまうのが、
なんだか面白くってねぇ。

それだけ、たった一語でもその言葉の持つ意味の
広がりってものが、面白いし、
そういう面白さを解っている人が、
それを意識して作った文章は、面白いと思うのだ。

何だか不安定で、自由律俳句と言われると、
俳句?と思わないでもないけれども、
形にこだわらずに削って削って削られた一句のおもしろさに、
なんだか心惹かれるのである。
でも、きっと、自分が考えると、
五七五になってしまうと思う。
なんだかんだいって、保守的なわたし。