とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

他人の感覚とのズレ

又吉氏、また、久しぶりに呟かれた。
それも、本のコト。
非常に嬉しい!と同時に、後半の

―――友達には絶対に読んで貰う。
読後に感じたことを共有したい。―――

という言葉は、同感であるが、読んで貰えるかどうかは
わからないなぁ。
友達でも、興味を持ってもらえれば、
あわよくば手に取ってもらえるかもしれないが、
感動など、共有するのは、至難の業ではない。
押し付けるわけにもいかないし、
私が好きな本が、必ずしも友達も好きとは限らない。

しかし、「共有したい」という気持ちは、
とてもよく解るのである。
だから、書評などの言葉で、
「あ!私もそう思った!私もそこが好きだよ」
って文章にあうと、
この人が好きな本って何かなぁ〜
知りたいなぁ〜とか思うのである。

近しい人に、本を薦めるのは簡単なようで、難しい。
拒否されることだって、あるからね。
けれども、共感したいのであれば、
そこを恐れず、読んで貰う!
又吉氏は、そういうスタンスなのだろう。

私はというと、おすすめしても、
読んで貰えなかったときのショックが大きいので、
自分がすっごく好きで好きでたまらない本は、
なるべくお薦めしないことにしている。

また、逆に、薦められた本が、ちっとも進まないときに、
なんというか、辛い読書になることがあるので、
やっぱり、絶対に読んで貰うことは、私はしないかなぁ〜。

その本に、強く惹かれる気持ちを解ってもらえる人とは、
深い友達に慣れそう!なんてことを考えたこともあったが、
だいたい、人間の価値観とか、美的感覚とか、
味覚なんて言うのも、バ〜ラバラ〜なんだもの、
ところどころ共有するくらいが関の山。
若い頃は、どこかに、ぴったりの価値観の人間がいて、
探し求めれば、いつかその人と友達になれるのではないか、
などという幻想を抱いていたことがあるが、
齢のせいか、そういうことが、幸せだとばかりは
言えないなぁというのが、解ってきた。

他人との感覚のズレが、いまいち納得できない自分だったが、
育ててくれた親も、周りにいた人間も、
育ってきた環境すべてが、まるっきり違うのだから、
感覚がズレているように感じても、
仕方のないことだろう。
そのズレを一ミリでも正したいと思うような
相手であれば、そうすればいいし、
自分のこのままの感覚で付き合って行ける人と、
うまくつきあっていけばよろし・・・そう思う。

でも、共有したいので、又吉氏が呟いた
『鳥の会議』は読んでみたいと思う。
鳥の会議
アマゾンで内容をちらっと見たところ、
共有できる部分は少ないかもしれんけど。

今年の文藝2月号初出のようである。
7月に出た単行本は、まだ、最寄りの図書館には
入っていないようだ。