とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

支援物資

熊本の被災者に向けての支援物資が

続々と集まっている、というニュース。

 

東北の時は、まだ生協に入っていたから、

生協さんがいろいろと回収して、まとめて送って下さった。

ちょうど、買い置きしていた生協のカイロが

一箱残っていたので、それと、タオルとを出した。

東北は、まだ寒い時期だったので。

 

今回、職場からそう遠くない場所で、

支援物資を集めているということで、何か…と思ったが、

何を…。

トイレットペーパー、生理用品、水?

 

最近は普段、買い置きをしないので、何を出そうかと迷う。

そして、わざわざないものを購入して持っていくよりは、

やっぱり現金だろう…と考える。

 

あの、バラバラの品々を、まとめて運ぶのには、

かなりの人手がかかるだろうと思うのは、間違いだろうか。

困っていない人たちがそれぞれ物資を出し合うという行為は、

素晴らしいことだし、間違ってはいないと思うのだけれど。

品薄なものであれば、個々で出し合うのが良かろうが、

そうでないのなら、個々が買い控えして、

製造元から、きっちりコンパクトに梱包されたもの、

外から、何が入っているか一目瞭然なものを被災地に届けたほうが、

人手は少なくて済むのではなかろう。

 

私は、募金を選択。

必ず、被災地での生活の改善に使われると信じて。

多額の募金は、無理だけれども、少しでも足しになればいい。

被災者の方の暮しを考えたら、ほんの少し、

我が家の生活を見直して、募金するお金はひねり出せるだろう。

まぁ、今は、生活にゆとりなんか、あんまりないんだけどね。

 

それから、個々で支援物資を被災地に届けるということは、

被災地の交通を滞らせるように思うので、

必要な車両以外は、なるべく現地に入らないよう

にというようなことをラジオで聴いた。

それも、全くであるなぁと思う。

通れるかどうかも確認し、交通渋滞を引き起こさないよう。

スーパーや、コンビニに、沢山の品物が並ぶといいな。

 

と、打ち込んでいるそばから、また揺れた。

ここで感じられる地震があると、熊本だと結構揺れているはず。

避難している方々の、不安を思うと、苦しくなる。

 

友達の実家やご親戚が熊本で、心配だったのでメールをしたら、

私の生活も、気持ちがいっぱいいっぱいであろうにと、

逆に労いの言葉の返事がきた。

いっぱいいっぱい…うん。そうである。

いや、そうでした。

今、自分、いっぱいいっぱいじゃないな。

もちろん、金銭的にゆとりはないけれども、

気持ちには、ちょっと、ゆとりがある。

それは、労いの言葉をいただいたり、

読み聞かせボランティアの先輩から、

一緒に行くはずだった講演会のレジュメのコピーなどを

思いがけなく送ってもらったりして、

心をもみもみともみ解してもらっているから。

いっぱいいっぱいになる原因であるはずの娘に、

いろいろと和ませてもらっているから。

なにより、自分に取り巻くいろいろを受け入れていくことで、

自分の心が柔らかくなることを、

あまのじゃくな私がようやく理解でき、

受け入れられているからだろう。

 

渡辺和子さんの著書にもあった。

他人と比較することなく、特に見栄えのしない自分を

あるがままに受け入れてゆく時、私たちは、

私たちと異なる他人をもあるがままに受け入れ、

すなおに出会ってゆけるのでしょう

まだまだ、不安なことは沢山あるが、

誰でも、なにかしら不安なことや困ったことを抱えていて、

それを、どちらが大変だとか、まだましだとか、

そんな風には、安易に決めつけないようにしたい。

まだまだ、不安や困難と向き合っていかねばならない日々が

私にも続くだろうと想像がつく。

でも、まぁ、それが、日常だと思えてきたので、ハッピィ。

そう思えるような言葉たちに、いろんな本の中で出会えていたことは

私の幸運であった。

お金や物と違って、無くならない見えない力である。

今は少額の募金しかできないけど、

そういう、無くならない力を届けたいなぁと思う。

今は、まだ、無理だけれども、娘の調子が復活したら、

また、読書ボランティアの活動を始めたい。