とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

ハナミズキ

息子を学校へ、また、

娘を病院へ送り迎えをするときに、必ず通る道。

両側にハナミズキが並ぶ場所がある。

もう、一番の花の盛りは過ぎたようだが、

今年も見事に薄いピンクの花が、心を和ませてくれた。

 

車で通ると、あっという間だから、

花の形などよく見たことがなくて、

私は長い事、コブシの花だと思っていた。

今年、何だか、色がいつもの年より濃いなぁと思って

コブシを調べたらコブシの花は白で、

ハナミズキのように丸っこい花びら(実際は花びらではないけど)でもなく、

また、時季ももう少し早いようだ。

 

あの薄いピンクの花びらだと思っていた部分は、

苞であるそうな。

パッチワークにも、ハナミズキのあの苞をかたどった

ふわんとしたパターンがあったよなぁ。

 

春の花を見て、心に浮かんできた杜甫の「春望」。

春望というと、高校の漢文でふかーく学んだ有名な漢詩だが、

中でも3,4句の言葉は、

春といっても、浮き立つ春ではない

杜甫の心情が現れていて、人生の哀しさが感じられる。

 

感時花濺涙  (時に感じては花にも涙を濺ぎ)
恨別鳥驚心  (別れを恨んでは鳥にも心を驚かす)

 

高校で、ふかーく学びはしたけれども、

その、人生の哀しさを感じ取ることなどできなかった。

今、思い出すのは、書き下し文を何度も朗読された男性教師の声だが、

(あの古文の先生は、不思議な雰囲気を持っていた)

とてももの悲しく、けれども美しい言葉の並び。

本来なら、中国語で読んでの、その美しい詩なのだろうけれど、

それを、このように美しい日本語に読みかえることができるとは。

 

30年以上前に、高校で学んだことが、

この春の、私のまわりに起こった様々な出来事で、

また、ハナミズキを眺めることで、

ぼわ~んと甦ってきた。

言葉って、不思議だなぁ。