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とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

パン捏ね中に考えたこと

パンを捏ねる時は、無心に捏ねる。

考えることは、右手の中にある、パン生地の感触の変化くらい。

大抵15分程無心で捏ねる。必死に…かもしれない。

 

今日、久しぶりにパンを捏ねながら、

昨日、ある人と会話したことを思い出した。

その人は、今年還暦を迎えられるくらいのお歳の男性で、

今回の熊本地震被災者でもあり、

被災者支援のボランティアをされている人でもある。

会話自体はほんの数分、被災地の状況を訊ねただけの、

本当に短いやり取りであった。

 

で、思い出したというのは、その方の眼である。

なんと言うか…まっすぐで、とても美しいなぁと思った。

地震のことに関して、感情的にならず、とても淡々と話して下さった。

また、ボランティアのことも、頑張ってる感をださず、

ちょっと、弱音を吐きながら。

私は人見知りであり、急に距離をつめないということで

自分を守っているのであるが、

普通、じっと眼を見ることがない。

眼をじっと見ると、こっちの考えている事が

ぜんぶ持っていかれるような気がするから、ガードすることにしている。

人見知りの、情けない技であるが、

大抵、眼を見ているようで、視点はもっと遠くに焦点を合わせている。

顔は上げなきゃなぁと思いつつ、眼を合わせるのは苦手である。

見抜かれるような気がするからかな?

見抜かれて困ることがあるからなんだろう。

 

でも、昨日、そのQさんとの話のしょっぱなから、

その眼をじっと見ている自分に気が付いた。

あれ?どうした、わたし。

(実際はQさんではないのだが、瞳の色が水色というか、グレーがかっているというか…

ロシアンの血が少し入っていらっしゃるのでは?なんてことを考えたので、

私の中でクォーターさんと呼ばせていただく)

 

 

50年近く生きてると、

自分をそのまんま出していい人かどうかって、

結構あっという間に察知できるようになるものなんだなぁ。

そう、昨日、「あ、この人とは話せる」と、すぐに思った。

気持ちがとても楽というか…緊張せずに済むというか。

どういう人かなんて、ちょっと会話したって、解りっこないけれども、

その雰囲気から、信じていい人ってびびっと伝わるものがあるように思う。

こういう人が、少々無理してでもボランティアをされていることに

とても考えさせられる部分がある。

 

自分が今お休みしている読書ボランティアのことも、

本当に必要とされているところでの活動を

惜しんではいけないのではないかということ。

本当に、必要とされている場所での活動だったのかということ。

また、それを実践できる状況かどうかを、見誤らないような

冷静な判断が出来る人間にならなきゃってこと。

 

Qさんの眼は、優しいし厳しかった。

でも、何より、本当にまっすぐな美しい眼だなぁと感じたのだった。

いろいろ積み重ねてこられた部分が、

短い会話の中から、感じられる貴重な時間だった。

 なんだか久しぶりに、お!この人!と感じた瞬間だった。

そうだ、齊藤敦夫さんの眼を見た時も、似たようなことを感じたのだった。

見破られてもいいや、いや、いっそ見破って下さい!ってこと(笑)

なぜなら、見破られたところで、その人がそれで私を評価する気がしないから。

 

素朴さとか、真面目さ、知的だけど人間的、とか多分に感じられる、

本当に気持ちのよい短い会話だった。

自分が「この人、いいなぁ~、好きだなぁ~」と感じるのには、

いくつかの、必要条件があるらしい。

その中の一つに、あまのじゃくな自分を、

あまのじゃくではなくしてしまう、

私を素直にさせるエネルギーを持つ、ということが挙げられる。

あと、自分より外に目を向けていらっしゃる人。

なんだろうな、いい方向に「導く」というわけではなくて、

いい方向に一緒に歩いてくれそうな、包容力というのかな。

 

自分の「人」を感じるアンテナは、

我が子や、読書ボランティアをして出会う親子によって、

いつの間にか、感度が上がってきたのかなぁと思う。

本当は、人の目を見るというのは、社会の中では、

基本中の基本なのだろうけれども、私にはうまく出来ない。

しかし、我が子やおはなし会に来てくれる親子に、

視点を別のところにもっていくというのは、なんか違う。

だから、やっぱり、ここでばかりは、眼を合わせなければならない。

子育てやボランティアで、やってきたことが、

何かしら、自分の生き方に影響を与えてくれているというのは

大変嬉しいことだし、有難いことだなぁと思う。

焦点をずらす技は、まだまだいろんな場所で活躍するだろうが、

こんな技を使わなくても、会話ができるようにならなきゃなぁ。

 

Qさんが、活動していらっしゃることで、

一人でも多くの被災された方の心が安らかになりますように。

そして、一日も早く、安定した生活に戻れますように。

Qさんが、お身体を壊されることがありませんように。

 

ほんとに、お茶一杯の時間であったけれども、

良いお時間であったことを思い出しながら捏ねたパンは、

大変素朴で優しいお味であった。

感謝。