人見知りの克服
さっき、昨晩の「ご本、だしときますね?」を見た。
世の中、変わった人も多いが、
自分と同じ天邪鬼さんも結構いるんだなぁと思う。
海猫沢めろん氏の本は読んだことないが、
見た感じ明るい人のように見えるのに、
若林氏と同じ、人見知りって、ほんとに?
と、疑ってみる。
人見知りは克服できるって話があったが、
思わず、大きくうなずきながら聞いてた。
経験…そうなんだよね、それは、私も思う。
私も、以前ほど人見知りではなくなった。
故意に、人見知りぶっているところがあるのは、
若林氏と同じだな。
初めての人と、しゃべることが、昔ほど苦痛じゃない。
それは、ここ10年くらいの生活の中で、
販売員をやったり、おはなし会サークルに入って
初対面の子どもたちの前で、お話を語ったり、
仕事で知らない人としゃべる機会が増えたり、
そんな経験をしてきたからだと思う。
こう言ったら、こう返ってくるだろう、
パターンBかもしれないし、パターンCかもしれない。
もしかしたら、予期せぬ言葉を浴びせられるかもしれない…
そんなことまで予想しちゃうと、ま、結構、
初対面であっても、言葉は少ないが、笑顔でいることは
多くなったし、なにより、会話ができるようになった。
数日前にも書いたが、パッと見、「この人は大丈夫だ!」
と思える人が、以前より増えたような気がする。
それは、経験のせいなのかぁ~、と、テレビを見ながら思ったが、
結局は、「おばばのなせる業」なのであろう。
そういえば、自意識過剰な若林氏が、人見知りっていうのは、
よくわかるんだけど、
私は、基本、他人にどう思われてもいいと思っている。
しかし、人見知りであるということは、
人からどう見られてもいいと言いながら、
実は、人一倍、周りの反応を気にしているのかもしれない。
ときどき、一日のことを思い出して、
あの人との会話の、あの言葉は、こういったほうが良かったか、とか、
あの人の言ったことは、どういうことだったんだろう、とか、
あの会話のとき、笑ってたのに、最後に真顔になったのはなぜだ?とか、
答えは出ないのに、考えることがある。
とくに、「あの人」が、もしかしたら、もう会話することもないかもしれない
という人だと、余計に、そういうことを考えがちである。
いつでも、会って、会話修正できる人なら、
きっと、そんなに考える必要がないんだろう。
でも、一期一会、初めて会って、なんかいやな思いをさせて
もう、二度と会わないかもしれないなんて、
あー、なんかいやだなぁ~ と思うのだ。
それが、たとえ、その人の記憶に残っていなくても・・・だ。
ま、人見知りであることは、保身に違いない。
今日は、いつもよりも短い仕事時間だった。
何度かお顔合わせをしたことがあり、
お電話でもお話したことがある方たちと会う、ってことがあったのだが、
あまり、緊張していない自分がいた。
よくよく考えると、そういう仕事のときは、
中年(壮年かも)以上の男性がほとんどっていう顔ぶれだからか、
昔あこがれていた、十五少年漂流記など思い出して、
あー、男性ばっかりの集団は、いいなぁ~♪と思うのである。
この世代だと、十五少年漂流記なんか、愛読書にしてた人も
いるかもしれないと思うと、余計にいいなぁ~♪と思うのである。
こんなことを書くと、語弊があるかもしれないけれど、
あっけらか~んとしている男性は、ほんと、気楽でいい。
ビシリッ!とスーツや髪型を決めているような男性は、
できることなら近づきたくない。
あっけらか~んと「トイレどこ?」とか、
「ごみ箱ある?」とか、聞いてくる人は、
ほんと気を遣う必要がないし、こっちは閉ざしてるけど
この人、心開いちゃってるな~と思い、自分もちょっとだけ開いてみたりする。
めちゃくちゃ申し訳なさそうに「すみませんけど…」っていわれたら、
こっちも「すみません…」って、頭を低くしちゃったりして。
開きかけた扉を、きき~~~っ、パタン!と、閉じちゃうこともある。
何がそうさせているのか、わからないが、
(おそらく、自分がそうだからわかるのだが)
人見知りで、申し訳なさそうにしているときって、
やっぱり、なんか変に思われてんじゃなかろうか?とか
不安に思っているときなのだ。
そういうことを、仕事関係に持ってくる人って、
あまり男性にはいないような気がする。
逆に、女性はそのあたり、めんどくさい。
もちろん、めんどくさい男性もいるし、
あっけらか~んな女性もいるんだって、知ってるけど、
これまでの経験上、あまり、めんどくさい男性はいない。
今日、面白いなぁと思ったCさんの言動。
真面目な会話のやり取りをやった後で、
以前から気になっていた名前のことをちょっと尋ねてみたら、
急に口調が和らいだというか、くだけたというか。
自分もそういうところがあると思うのだが、
そこに興味があんの?(笑)みたいなことを訊かれたら、
自分に関心のある人というのが、インプットされるのか、
人って、扉をちょっぴり開けてみるところがある。
Cさんは、別に、誰彼に心を閉ざすような人ではないのかもしれないが。
で、Cさんは去り際に持ってたカフェのカップを
捨てるごみ箱を探していたのだが、
私が、捨てときますよ、と受け取ったら、
何かまるめた小さな紙くずを、わざわざそのカップのふたを開けて、
中に捨てようとした。
私が受け取って、両手で持ってた、そのカップのふたを開けようとして、
なかなか開かなかったから、私もすぐに紙くずを受け取ればよかったのだが、
もしかしたら、見られたくないようなメモなのかもしれないと、
Cさんがするように、カップの中に入れるのを見守った。
見守ってる私も私…気のきかんおばばやね~。
Cさん、やっとふたを開け、紙くずを入れ、
ご丁寧に、ふたをまた閉めようとするが・・・
カフェカップのふたって、パチッと閉めるの意外と難しく、
私の手の上から、カップを抑えてふたをしようと必死。
結局、このまま捨てときますよ~で、私に任せろ!てきに終わったが、
こういう一つの動作にも、性格が現れるなぁと思ったのだった。
「これも、捨てとって~」で良さそうなもんだが、
それができない性格なのだろう。
そこも面白かったのだけれど、
私はおばばだからいいんだけど、これが若いお姉ちゃんとかだったら、
「まぁ、Cさんたら、公衆の面前で女の子の手を握り締めてるわ~」
とか、Cさんに苦手意識なんかある子だったら「セクハラ!!」呼ばわりされる
可能性もなきにしもあらず。
ま、おばばの辞書には、セクハラなんて言葉は載ってないけどさ~、
ガハハハ!!(めぞん一刻の一の瀬さん様笑い声)
やっぱり、こういうのも、経験と観察が、私の心にゆとりを持たせて
くれているのだろうなぁと思う。
何度か会話をしていくうちに、もっと扉を開けていい人、
やっぱり、鍵を閉めちゃう人、いろいろに分かれると思うが、
人付き合いって、そういうことの繰り返しだよなぁと思ったのだった。
私はとっさに、うまいこと言葉で説明できないので、
せめて、顔の表情くらいは分かりやすいといいなぁと思う。
人見知りの哀しいサガで、視線を合わせるのは難関であるが、
それも、少しずつ克服できているのかもしれないなぁと、
顔をあげて挨拶している自分に気づくたびに、思うのであった。
ま、そういうこと、わかっていても、
心の網戸(フィルター)の目は、大きくしませんけどね。
それはそうと、Cさんが必死にカップの中に入れてしまった
あの紙クズは、なんだったのだろうか?秘密のメモ?
あれが、大したものじゃなく、ただのガムの包み紙とかだったら…。
几帳面にもほどがある!(笑)ってね。
でも、人に見られたくないものを、人前で必死に捨てるっちゅうのも、
おかしな話だもんなぁ。
なんか、今日、夢に見そうだわい。