吉と出るか
『天山の巫女ソニン』は、娘と私が同時期に、はまって読んだ本。
私は娘ほどファンタジー小説は読まないが、
この本は、ファンタジーという意識をせずに、
楽しんで読めた本だった。
娘が、雑誌ダヴィンチを見て、気になる本があるというのだが、
図書館に蔵書があるにもかかわらず、特別整理期間で閉館中。
開館は一週間先なので、ほかの図書館の蔵書を探す。
美しい表紙であるし、なんといってもタイトルがいい。
ファンタジーではあるが、どうも、ソニンのように、
ファンタジーを意識せずに読み進められるのではなかろうか。
私も非常に興味がわいた。
最近、文庫化されて、4巻で出ているようなのだが、
これは、ハートカバーで読みたかろうなぁ・・・
ってことで、今日は、いつも行かない図書館へ行く。
借りられるとして、この本が、今の娘に読める本かどうかは、
大変微妙なところだ。
娘が、サトクリフを難しくて読み進められなかったというのは、
読書仲間の私からしたら、大変ショックなことであった。
伝説とか、神話とか、そういうものも大変好きで、
昨年は『鹿の王』をあっという間に読んでしまったといっていたのに。
病気が彼女をそうしたのだろうけれども、
少しずつ、大好きだった世界をとらえることができるようになればいい。
ただ、この興味を持った本が、彼女にとって吉となればよいが、
もしかしたら、難しくて自信を無くすことにもなりかねない。
借りるのがいいのかどうかは、図書館で彼女が判断するだろうが。
私は昨日『ヴェニスに死す』を読み上げたので、
何か、借りてこようかなぁとも思うが、
とりあえずは、『吾輩は猫である』を読み上げたいので、
今日自分用には、手芸の本かなぁ。