とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

若いお友達から

七夕の前日は、私の、若いお友達Nさんのお誕生日であった。

本来ならば、お手紙でも書きたいところだったが、

暮れにお手紙をいただいて以来、連絡しないまま、

娘の病気ということになり、

手紙を書くのも、何を書いていいのかわからずにいた。

 

七夕の日、朝、梅雨の晴れ間の空に、入道雲にはまだまだ

だけれど、夏らしい雲が見え、Nさんにメールを送ろうと思った。

Nさんは、空が好きだった。雲を見ている姿が、印象的で、

その姿は、どこか、きりっとしているようで、

どこか、哀しそうで、厭世的にも見え、

言葉なしで、何かを静かに訴えているように見えた。

彼女と出会ったのは数年前で、2年弱同じ職場で過ごした。

その後、私がその職場を離れ、

彼女も間もなく新たな夢を見つけて実家に戻っていった。

 

彼女のことを考えると、なぜだか、とても心が満たされる。

もし、同世代で、大学ででも同級生であったら、

いい友達になれたのではないか、とも思えるし、

反発しあったかもしれないなどと、想像する。

短い期間であったけれども、一緒にレオニ展を見に行ったり、

映画を見に行ったり、私のストーリーテリングの練習に

付き合ってもらったりした。

読んだ本や、好きなものや、学生時代のことを語り合ったりもした。

かわいらしいお嬢さんだけれども、流されない強さを持った

素敵な人で、彼女とは、いろんなことを共有できた。

彼女のことを思うと、心が満たされるけれども、

なぜだか、とても、寂しくなる。

星の王子さま』の狐のように、泣きたい気持ちになる。

 

彼女の誕生日に、ただ、おめでとうとメールを送ることは、

簡単だったが、そうではないな…と思った。雲を見て。

 

娘よりも4歳年上のNさんに、頑張って夢を叶えて欲しい。

でも、無理をして、娘のように心に傷を負って欲しくない。

母心のような、友達のような思いで、メールを打った。

 

今日、彼女から返事が来た。

メールに、じっくり時間をかけて返事を送ってくるのは、

相変わらず。

選びに選び、無駄な言葉を削ったシンプルな文章が綴られている。

変に練り込まれず、素直でまっすぐな言葉に、

電車の中で、涙ぐんでしまった。

お誕生日のお祝いしたつもりが、大きなお返しの言葉をもらった。

彼女の声が、聞こえてくるようなメールだった。

静かな、大人びたような、でも子どもらしい声。

「○○さん(私のこと)の幸せを心から祈っています」

 

お互い、一日一日を大切にしていこうと約束をした。

彼女に次に会うときは、彼女が言語聴覚士になっていますように。

彼女に次に会うときは、彼女が好きそうなお話の語りを

聴いてもらえますように。

 

あ、そうか。

Nさんのことを考えると、なぜ泣きたくなるのか・・・

彼女のことを考えると、中島みゆきの「糸」が

頭の中で流れるのだな。

それで、泣けてきちゃうんだ。

 

♪縦の糸はあなた 横の糸は私

逢うべき人に 出逢えることを

人は 仕合わせと呼びます♪ って歌詞が。

 

20歳以上も年の若いお友達に、背中をぽんぽんと

撫でられた気分である。

ものすごくエネルギーをもらったような気分である。

一晩考えられたであろうメールに、大げさなところは一切なく、

本当に至ってシンプルなのだけれど、

そこから伝わってくる彼女の真面目さに、

私もしっかり立っていなきゃ!

良いことも悪いこともしっかり受け入れていかなきゃ!

って、強く思った。

Nさん、ありがとね。

 

こんど、ゆっくり手紙を書こう。

ふみの日の切手を貼って、ポストに入れよう。