とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

共通の趣味を持つと

昨日は、Fしゃんの軽音部、最後の大会だった。

高校三年間ってわけではなく、まだ、

ギターを始めてちょうど一年。

軽音部に入部して、まだ8か月ほどしかならないが、

大会に二度も出場させてもらったのは、

それまで知らなかったであろう、いろんなことを体験できて、

本当によかったなぁと思う。

そして、なにより、ギターという興味があるものに

自分から手を出して、毎日一人で練習して、と、

Fしゃんの知られざる一面を見せてもらえたことも、

親としては、とても嬉しいことであった。

 

もっと早くにやっておけばよかったのだろうけれど、

一昨日、部活の帰りに弦の張替えに楽器店まで一人で行ってきたらしい。

それも、びっくりしたことだが、昨日の大会でのことも、

彼にとっては、ギターがうまくなることと同様、

何か、心に残ったことだろう。

というのは、

彼のギターは、弦を張り替えて、音が安定するのに、

どうやら、時間がかかるようなのであるが、

(どういうことだか、よくわからないが)

昨日、本番前に、チューニングできていないことに気づき、

経験不足で、時もないことから焦り、

うまく合わせられなかったらしい。

そこへ、彼らの次に演奏する高校の生徒さんが、

なにやら器具を取り出して、ちゃっちゃ~っと

チューニングしてくれたらしいのだ。

 

ただの演奏会でなく、県大会で、ここで優勝して全国へ、

という大会の中でも、自分とは無関係のバンドのギタリストが、

困っていることに気が付き、手を貸すということができる

なんて、素晴らしいことだろうか。

 

共通の趣味を持っている人とは、一気に距離が縮むということは、

自分もこれまで、何度も感じたことだけれども、

Fしゃんもそういうことを感じ取れたようである。

すごく、感謝しているようであった。

そういったことで、人間関係をどのように築くのがよいか

自分の実体験として感じ取り、自分が目指す、人間関係の在り方

みたいなものを、彼なりに持ってくれたらいいなと思う。

 

もちろん、共通点がないから、無視というのではなく、

その共通する、何かに対しての共感で、

人と人との距離を縮めるといったことを、

活かして、これから生きていく力にして欲しい。

私たちの社会は、種という共通点を持つ人間の集まりだから、

見知らぬ人にも、何かしら自分との共通点があるはず。

それは、短時間では難しいことかもしれないが、

そこを見出す力というのも、コミュニケーション能力の一つではないかな。

 

Fしゃんが、ギターを買いに行くといったとき、

長続きせんだろうなぁと思ったのだが、

誰かに誘われたわけでなく、一人でやってみようと

興味が沸き、それが一年継続できたこと、

人前で披露するオリジナル曲まで作れるようになったことは驚きだ。

ただ、ギターを弾くのが楽しい、上手くなった、

という満足だけではなく、

今まで避けてきた面倒臭いこと、

友達との関係とか、先生や見知らぬ人とのやり取りとか、

重い荷物を抱えて街に出るとか、

そういうことを体験する機会も得て、良かったなぁと思う。

何より、それを、誰かに言われて始めたのではなく、

自分が見つけたというところに、拍手を送りたい。

そして、昨日、Fしゃんに救いの手を伸ばしてくれた

HG高校のバンドマン二人に、感謝感謝である。