とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

この数日の、私を引っ張る力

盆休みが終わり、水曜、金曜と通勤のお伴は

批評家・随筆家である若松英輔氏が講師

100分de名著のテキスト内村鑑三『代表的日本人』である。

内村鑑三『代表的日本人』 2016年1月 (100分 de 名著)

水曜は、第1回の西郷隆盛を読み、

昨日は、第2回の上杉鷹山二宮尊徳の部分を読んだのだけれど、

胸に響く言葉が多々あり、

電車で読むには、鼻をすすりながら…となるのが難点。

せめて、なるべく人の目につかないところで…と、

2日間は座席に座らず、ずっと端のほうに立って読んだ。

 

第1回 特に、感銘を受けた部分。

ーーー天の命は、誰の生涯にも呼び掛けている。

しかし、人間は、自分の思いで頭も胸もいっぱいで天の声が聞こえない。

そうした時、人はどうしたら天の声を聞き得るのかーーー

 

ーーー自分の力で何かをするのではなく、もっと大きなものの一部になる。

大きなものの働きに参与する、という生き方ーーー

 

ーーー私たちは一般に、祈ると聞くと何かをお願いするというイメージが

ありますが、内村の考えは違っています。

人は黙して、天の声を聞くことこそが祈りであるというのが、彼の、

そして西郷の基本的な考え方です。

自分のことを伝えている間は、天の声は聞こえないものです。ーーー

 

ーーー私たちは、自分にとって大事なことを考えるとき、

人との対話によって何かを見つけていくことができます。

しかし、自分との対話、つまり、天との対話によって

見つけることもできる。本当に見つけなければいけない答えは、

人からもらうのではなく、自分の中にすでにある。

西郷は、そのことをよく知っていた。ーーー

 

 

そして、金曜日は、第2回を読んだ。

この回は、上杉鷹山二宮尊徳の回。

 

ーーー困難に対応する力は弱きもののうちにすでに秘められているが、

しかし、それに何者かが、息を吹きかけない限り顕われてくることはない。

しかし、息を吹きかければ火と熱を帯びてよみがえってくる。

さらにそこに一本藁を入れれば、火はまたたく間に広がっていくだろうーーー

 

ーーー失うことを恐れて行動しないことがないよう、失うものがないところに

立ってみる。そうすると、人間はかえって、自分の中に失われざるものが

あることに気がつくことできる。ーーー

 

ーーー人は、人生の中で何度か、何かを失うという経験を強いられる。

しかし、「失った」を「奪われた」と捉えるのではなく、今まで見えて

いなかった大切なものを見出さなくてはならないときなのだ、

と考えることもできるように思います。ーーー

 

考えなければならないことや、自分の内をじっくり見るときに

必要なことが、ずらりと並んでいる。

上に引用したのは、ほんの一部。

 

そして、こんな時間になぜ更新しているかというと、

この夜中に、連続して、若松氏がツイッターにツイートされている言葉たちが、

厳しくも、あまりに心の中をあったかく、生きる糧になり得るもののように

思えたからである。

一つだけ。

ーーーひとが本当にわが身に刻まなくてはならない言葉はきっと、そう数多くはない。私たちはあるとき、一つの言葉を心にうつしとるのに、少なくない歳月をささげなくてはならない事も、そのことを証ししている。多くの言葉を求めてはならない。切実な言葉を探せ。自らの魂を目覚めさせる幾つかの言葉を探せ。ーーー

 

ここにあれこれと引用するのもあんまりなので、

あとは、こちら↓で若松英輔氏の今日(8月20日)のツイートを

じっくり読んでいただきたい。

twitter.com

 

では、これらの言葉を噛みしめて眠ることにしよう。

眠れそうにないけれど。

おやすみなさい。