とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

20160915

そういえば、木曜日に図書館に行ったのだった。

娘が借りていた本を全部読んで、

デイケアの時に読む本がないというので。

 

私は借りていた本を返し、

2枚組CD♪ショパンな一日と、

図書』の7月、8月号と、

葬送と並行して読もうと思って、

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こちらを借りてきた。

モノローグは、もう、何度か借りてきて、

あちこち読んでは返し…している本。

アマゾンでは初エッセイ集となっているが、

『文明の憂鬱』のほうが先に出ていた記憶が。

 

この『モノローグ』のⅢ自作解題の中にある、

『葬送』について のたった4頁のために借りてきた。

というのも、なかなか読み進められない『葬送』を、

何とか読破したい!と思っているから。

これまで、何度も借りては返却を繰り返した『葬送』の

ハードカバーを中古で手に入れはしたが、

返却期限もないということもあって、

読もう!という気持ちが続かないもので、

夏の課題に決めたものの、この夏の猛烈な暑さとともに、

原稿用紙二千五百枚というボリュームからも圧され、

結局、読み進められないまま。

 

ショパンを嗜む』を読んだ直後は、これはいける!

と強く感じ、ショパンの曲をあれこれ聴きもしたにもかかわらず、

いまだ持って、一部の頭のほうをウロウロしている。

 

『モノローグ』の『葬送』について

新潮社の月刊誌 波 に掲載されたエッセイなのだが、

平野氏が、この作品をどのような意図をもって書かれたか

を読み取ることが出来る。

また、準備段階から4年ほどを費やしたこの大作について

向かい合う毎日の孤独さが窺えるのだが、

それについて、平野氏はこう書いている。

―――自分の全身全霊を傾けて取り組んでいる仕事が、

ただ独り自分にのみ有益であり、他人のためには全く無益である

という時、人はその孤独に耐え続けることが出来るでしょうかーーー

 

平野啓一郎氏は、なぜか、デビュー当時から、

どこか惹かれる作家であった。

彼の作品を追いかけて18年ほど経つが、

この『葬送』を読めていないというのは、

ファンとしては、残念すぎる。

平野氏が、この作品を書くための下準備に1年ほどかけたそうなので、

私もこの作品を読むために、いろんな方向からアプローチを試み、

気持ちを高めて、グワーッと、作品にのめり込みたい。

 

毎日は、雑多なことが多くて、なかなか深く入り込めないところが

悩ましいところではあるが…。

いっそのこと、ハードカバーは置いておき、

文庫を購入すれば、通勤の伴として、読み進められるのでは

と思いもしたが、いやいや、これを電車の中で読むのは

私には無理…。

 

とにかく、『葬送』について を読んだことで、

読みたい気持ちをさらにアップさせることに成功した。

あとは、時間を上手く工面すれば…。

ってことで、今日から明日にかけ、台風16号が近づくようなので、

ショパンに会いに行くかぁ。

 

今日は、娘のために予約していた本が準備できていると

連絡があり、通常休館日の月曜だが、祭日と重なり

開館日になっているので、10時きっかりに図書館に行く予定。