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とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

いつからかできるようになった

若い時は、一冊の本を読んでいるうちは、他の本を読むことができず、

その一冊が読み進められないうちに、もう一冊の本を読む気が

ぐーんと落ちて、結局読まずじまい、ということがよくあった。

 

5年くらい前からだろうか、

二冊、三冊の本を、同時期に並行して読めるようになった。

どうしてなのかなぁと思うのだが、

頭のなかのイメージの濃密さと、切り替えが、

一番の理由ではないかと思う。

二冊、三冊、同じような本だと、頭のなかで切り替えができないが、

一冊一冊のイメージがはっきり違いが分かるとか、

登場人物のキャラクターが自分の中で、くっきり描けるとか、

作風が明るいものと、暗いもの、

現実の人間模様と、ファンタジー、

小説と、エッセイのように、違っているものだと、

結構さっと、その本の世界に入れる。

もちろん、それらが、自分にとって面白い!と

感じる部分があることは、必須条件。

 

今、電車の中で読んでいる銀の匙岩波書店)は、

電車の中20分が、あっという間に過ぎる。

描写の美しさ、言葉の優しさ、色や、音、匂いのほか、

手触りなども、すっと思い描ける文章である。

五感に訴えかける文章が、

現代とは違う、ゆったりした時の流れの中に連れて行ってくれる。

自分の子どもだった頃より、もっと昔。

祖父母が生まれる前の時代。

それなのに、どうしてこんなに懐かしさを覚えるのだろう。

また、自叙伝とは言え、自分の幼い頃のことを、

ここまで鮮明に思い出せるものだろうか。

そして、その子の繊細で感じやすい心がとても胸を打つ。

オノマトペも豊富に使われていて、心地が良い。

読み始めの頃、白い鳥が「たおたお」と羽ばたくという文章に出会い、

なんて優雅な表現だろうと思い、

たおたおというのが、副詞であることを調べて知ったが、

こういう表現が、あちこちに出現し、心躍らせるのである。

 

まだまだ途中だが、本当に引き込まれる本だ。

全部読んでしまったら、一度、朗読などしてみたい。

きっと、気持ち良く言葉が流れるだろう。

 

今は、読んでいると、小さいこの子をお世話する、

おばさんの魅力に涙がこぼれそうになる。

また、この子も、おばさんを好きなことが伝わってくる。

情に厚く、漢字は読めないけれども、沢山の話を語ってくれる

おばさんのことが、自分のおばさんのような気持で読めてしまうところ、

登場人物がまるで、自分のよく見知った人であるかのように、

懐かしく思いながら読めるのは、どういうことだ?と感心する。

その中に、自分の知っている日本を見つけては、

気が付けば、自分の記憶の中にある子ども時代を思い出している。

こういうのは、石井桃子さんの『幼ものがたり』福音館書店)でも

類似の体験をしたが、実に楽しい時間だ。

 

寝る前は、平野啓一郎氏の本を読んでいるけれども、

電車の中では、夢中でこの本の世界を楽しんでいる。

どちらも、他方の邪魔をしない。

共通点がなさそうなところが、いいのだろう。

そう、勝手に思っている。