とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

外に出さないという気持ちは

ひみつの王国: 評伝 石井桃子

ちょうど一年ほど前、この本が出版された時に、
一度この本を読もうとしたのだが、
結局読まずじまいだった。

石井桃子さんのエッセイや物語、
また、『幼ものがたり』のような回想記(自伝)は、
読むのに躊躇なんかしなかったのだが、
『ひみつの王国』は別だった。
それは、その本が分厚くて…とか、文字が細かい…とか
そういうことではないのである。

この本が、石井桃子さんが亡くなる前に出来上がっていたら、
すぐに手に取ったと思われる。
でも、これは、インタビュー集とは言え、
石井桃子さんが亡くなってから出た本だ。

躊躇して、気になりはしつつも、
読まなくていいか、と思っていたのにはわけがある。

TV『花子とアン』のときに、お孫さんが書いた
『アンのゆりかご−村岡花子の生涯−』が原作だった時も
凄く思ったことであるが、
自伝ならともかく、死んでからその一生をさらけ出される
というのは、自分だったら死んでしまいたいくらい恥ずかしい(死んでいるから、そういう気持ちはないだろうが)。
その方が、望んでいらっしゃっただろうか?
なんてことを考えると、ちょっとなぁ〜と
気が滅入るのである。
そして、それを読んでいる私の、
心の中にある覗き趣味みたいなものが、垣間見えるので
余計に何だか嫌なのである。

今回、『ひみつの王国』を紐解いたのは、
大好きな先生の講座で、この本をとりあげられるから
なのだけれども、それが無かったら、
この本を読むことはなかったかもしれない。
石井桃子さんはとても好きだし、
エッセイなどでお人柄などもわかるし、
彼女が何を考えて大きなお仕事を続けていらっしゃったのか、
そういうことも、子どもに本を手渡すということを
している者としては、
知っておくべきかもしれないとは思っている。
ただ、インタビューのみ、そのままの言葉で
聞き書きというのなら、納得いったかもしれないが、
今読んでいる途中だが、その中でも、
「そんなことは、外に出さなくてもいいだろう」
と思うことがある。
人の人生を、世間に広く伝えるということの
使命感などもあるとは思うのだけれど、
こういう本の価値というものが、私には解らない。

石井さんが、この本を望んであっただろうか?
そういうことを考えながら、読んでいる。
私には、『幼ものがたり』や、『子どもの図書館』や、
エッセイなど、そういうもので、十分かな?と思いながら。
ただ、私の大好きな先生は、
石井桃子さんが亡くなった直後、本当に力を落とされた時期があった。
その先生に、石井桃子さんについてお話しいただくというのであれば、
先生が参考文献として挙げられた本くらいは、
全て読んでおきたいと思って、読み進めている。

石井桃子さんが遺しておきたいと思われていたであろう
子どもの本を、子どもたちに手渡すこと。
それは、心に留めておきたいことだけど。