とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

大きくならないよ、私のは

あなたは、魔法の指先を持っているが、
私は魔法の指先は持っていない。
けれども、その魔法の指先は、決してあなたの
能力ではないのだよ。

今日、ベランダの植物たちを、
携帯で写真にとって、知人に見せた。
今どき、ガラケー派は珍しいのかもしれないが、
その知人が、私のガラケーの画面を
あの、今は珍しくもない指の動きで
一生懸命ズームアップしようとしていた。
あれ、なんていうんですかね、あの、
つまんで引き延ばすような、あれです。

「大きくならないよ、私のは」
申し訳なかったなぁ。
大きくならない上に、画面は小さいし、
それでも、接写で撮ったふうせんかずらのふうせんベイビー。
大きくして見たいんだな、と、
ボタン連打でズームしてみたけど、
なんせ、ガラケーの低画質で撮影しているから、
くっきりとは写っていないのである。
ほんと、申し訳なかった。

以前はガラケーを使っていた人も、
やっぱり、スマホを使っていると、
あれが、普通の動作になるんだなぁと思った。
そうなることが、当たり前になるんだなぁって。
便利っちゃ便利である。

でも、なんだか、ちょっと、残念な気もする。
写真って、素人は素人なりに、
いろいろ考えて撮っているわけだ。
今、ふうせんベイビーがどれくらいの大きさなのか、
花と比較できるように。
麻ひもとも、較べられるな、
と思って、構図を考えて撮っているわけだ。
ちょっと、撮影してみたら、ふうせんも可愛いが、
やっぱり、この小さな花がいいな…
だって、この小さな花から、その10倍以上の大きさの
ふうせんの実がなるなんて、凄くないですかっ?!
って気持ちで撮っているわけだ。
それを支える、このほそっこい蔓の、
イタイケサ…なんてことを考えて、蔓も写してるわけだ。

自分にとって大事な所だけを引き延ばすというのは、
写真を、魔法の指先になるあのスマホ端末で
やってしまうだけではないな、と感じた。
私の視野が狭いのや、情報を得るアンテナが狭いのも、
同じことだなぁと…反省。
ピンポイントで深くというのも大切だけれど、
広い所に目を向けなきゃなぁと感じた今日。


直木賞東山彰良氏は携帯を持たないんだって。
それで、迷って、待ち合わせ場所にたどり着かないことも
あるんだって。
公衆電話ばんばん掛けるから、テレホンカードを
何枚も持っているって。
直木賞の受賞の電話は、編集担当さんの電話に
かかってきたんだとか。
TEENTEENで、そんなこと言ってた。

そういえば、又吉直樹氏は、芥川賞の受賞の連絡来たとき、
受けた電話は二つ折りのガラケーだったな。
うん…やっぱり、家族がLINEやってても、
わしは、ガラケーでいくぞ〜と、決めた今日。
ガラケーの機能をきっと5%くらいしか使っていない私は、
スマホの便利さを使いこなす自信がないからね。