とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

子どもの貧困率

たしか、平和集会のことを話していた時、
日本の子どもの貧困率について、知人が話していた。
6人に1人が貧困状態にあるという話。
それは、昨年の推計であるらしいのだが、
その調査を始めた昭和60年以降、
最高の16.3%であるらしい。

こういうことを、知らずにいることや、
それを信じられないということは、
いかに、社会を知らなさすぎか、ということになるのだろう。
子どもたちへのおはなし会などをしている身としては、
そういう、子どもたちが置かれている状況を
知らずにのうのうと過ごしていいはずがない。

国民の平和と、自由・幸せな生活を守るための
安全保障法案だというが、
貧困層を救おうとしないで、自国の平和なんてことが
ありえるのだろうか?と疑問に思う。

そして、また、子どもの貧困率と、
わざわざ分類しているということは、
家庭の貧困と、子どもの貧困が一致していないということで、
それも大変腹立たしい。
人間は、弱い生き物だと、そんな言葉では済まされない。

お金が無いことだけで、不幸せだと感じる必要はないし、
苦しいといっても、何とか食べて行けるし住む場所もある。
幸せだとか物への価値観だとか、
人によって受け止め方も様々だろうが、
一体、どういう状況を貧困というのか、それを知りたい。
1キロ300円以下の米を求めることや、
100グラム100円以上の肉を買うことに
躊躇することは、貧困というのであろうか?
暑くても部屋の温度が30度以上にならなきゃエアコンをつけないとか、
寒い日は湯たんぽを抱いて、袢纏を着るとか、
そういうことは、ダサくて貧しいことだろうか?
もし、そうなら、我が家の子どもも6人に1人の
中に、含まれるのだろう。

貧困というのは、お金の貧しさだけでなく、
この日本という国に、人の生き方を
ダサいとか、貧乏くさいとか、
そういう見方をする人がいることで、酷くなっていくように思う。
「ぼろは着てても 心の錦」
っていい生き方だなぁと思う私には、
人を蔑んで満足しているような生き方する人って、
貧しい人だなぁと思うし、
そういう生き方はしたくないなぁと思う。
着ているものや持ち物で、その人を判断することは、
なんと愚かなことだろう。
地位や名声にこだわる人も、気の毒だなぁと思うが、
自分の身にブランド物をつけて満足することも、
同じくらい可哀想な人だなぁと感じるのである。
もう、そんな時代は、とっくに終わってる
と、思いたい。

そんな、見栄みたいなもの捨ててしまって、
子どもに豊かな心の種をまいてあげなきゃ。
そうすることで、恐らく、貧困率は下がっていくだろう。