比較のむずかしさ
岩波世界児童文学集の「雪の女王」の
ストーリーの始まり1ページほどを読み比べてみた。
どちらも同じ大畑末吉氏の訳なのだけれども、
全体的な文章量がまず違っていることと、
書き出しから、言葉が違っていることから、
一般向けと児童向けでは、かなり手が加えられていることがわかる。
おそらく、岩波文庫のほうが先なので、
子どもに読み易くするために、訳し直したり、
不要な所を省いたり、簡単に言い直したりされている風であった。
まだ、同じ翻訳者が、異なる読者のために書き直されたものなので、
あぁ、ここをこう言いかえるか…と思いながら読める。
昨年、岩波文庫『善悪の彼岸』を購入して、
およよ、これは難解・・・と、手こずっていたのだが、
先日図書館で新潮社の別の訳本を読んでみて、
読み易さの違いにびっくりした。
おそらく、光文社の古典新訳文庫だと、
更に読み易いのだろうなぁと感じる。
新潮文庫の『善悪の彼岸』は、
竹山道雄の訳というのに惹かれて借りて来たのだが、
全体を通して比較して読むというのは、
時間がどれだけあっても足りぬ…と思い、
結局ほんの少し読んで返却した。
私にとって、竹山道雄という名前は、
『ビルマの竪琴』の作者、特別な作家としてしっかり入っている。
なぜなら、『ビルマの竪琴』は、ローティーンの時期、
何度も読み返した本で、ささやかではあるが、
私の一部に、この本の中にある人の生きる道が
しっかりと影響されていると、自覚している。
だから、岩波文庫を熟読した後、
竹山道雄訳も、もう一度読んでみたい。
元は、同じ文章のはずだが、時々、
これは、意味が違うようにも読めるなぁというところがあって、
どっちが本当なのだろう?と思うこともある。
こっちの理解力が追いついていないからかもしれないが。
原書はドイツ語だが、もしかしたら、
ドイツ語を英語に翻訳した本を訳したものかもしれない。
そこは、しっかり見ておくべきだったなぁ。
今度図書館で見てこよっと。
岩波書店の本は好きだが、やはり歴史を感じるとともに、
言葉の古さということも感じる。
特に、岩波文庫などは…。
だけど、そういう古い文章も読める自分でありたいと
そういう願望も捨てきれない。
『父さんの手紙はぜんぶおぼえた』だった。
図書館で一度借りて読んだことがある。
これは、いいお値段なので、買うのはちょっと思い切りが
必要なのだが、この本の装丁というか、製本というか…
やっぱり岩波書店の本は素敵だなぁと思わせる。
カチッとしてて、本!って感じがする。
残すべき人類の記憶、歴史だと思う。
こういう本を大事にしていかねば。
内容は大変重いテーマなのに、お父さんの手紙が素敵なので、
頁をめくりたくなる本。
父親の愛情に触れ、善と悪の岐路に立たされたとき、
自分の信念を貫ける人間にならなければと強く思う。