とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

来週

来週、清水眞砂子氏の講演を聴きに行くので、

昨日の夜から『第八森の子どもたち』を読んでいる。

いま7割程度読んだところ。

以前読んだ時とは、ちょっと違うことを感じている。

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清水眞砂子氏の講演会のためになぜ?と思われるかもしれない。

清水眞砂子氏の著書『そして、ねずみ女房は星を見た』で

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取り上げられている『第八森の子どもたち』を、

何度も手に取りはして、深く読むことが出来なかった。

もう、10年近く前の話である。

この『そして、ねずみ女房は星を見た』が出た時、

取り上げられた本をいろいろ読んでみたが、

当時、自分に深く入り込んでくれたのは、

『ねずみ女房』『片手いっぱいの星』『人形の旅立ち』

それから

『お話を運んだ馬』の作者シンガーと、

注文の多い料理店』の作者宮澤賢治だった。

 

自分では、『第八森の子どもたち』は、いつかきっと

じっくり読まなきゃならない時が来るような気がしていたし、

知人から譲り受けた単行本を、近くにおいているものの、

ちょっと読んでは閉じ、ちょっと先を読んでは閉じの繰り返しではあったが、

自分がきっとこの本に引っ張って行かれるような予感はずーっとあった。

 

読書のタイミングというのは、本当に人と人との縁のようなもので、

向こうからのプレッシャーとこっちの引力とがばっちり合致したときに、

素晴らしい本に出逢えた!という気持ちになるし、

自分の深くに入り込んでくれるし、また

心が良い具合に撹拌されるように思う。

 

だから、昨夜おそく、「もうすぐ清水さんに会える~♪」と思った時、

布団の中で手を伸ばしたのが『第八森の子どもたち』だったことは、

なにかの縁なのであろう。

第二次世界大戦中オランダの、苦しい生活をじっくりと読み進んで行くと、

現在の不安定な欧州や東アジアのことが、

自分の中で自然に絡んでくる。

馬鹿な争いごとを繰り返す人間へ、過ちを繰り返さないための

世界遺産だったり書籍だったり、また、映像だったりが、数多く存在するのに、

人間は、それでも繰り返す馬鹿な生き物なのだなぁという失望と、

そんな馬鹿な人間たちの犠牲となり、苦しんだ人たちの中で、

同じ種とは思えないような、人間らしさを手放さずに生きてきた人々が

その書物に描かれていて、光明が見えるという、

両極端に心が揺れていく。

 

人間は弱い生き物だから…という、言い訳は要らないし、

自分もそういう言い逃れはしたくないなぁと思う。