とみいよむよむにっき

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今だから

今日、『ムーミン谷の仲間たち』読了。

 

この言葉、今だから響く言葉かもしれない。

タイムリーと言えば、タイムリー。

 

だって、小さい動物というものは、自然の大きい力にたいしては、

いつだっても、とてもとてもすなおでなくてはいけませんからね。

 

どうあがいたって、ちっぽけなことには変わりない。

人間は、多くのことを発見し、発明し、

自分達の生活を大きく変えてきたといっても、

やはり、自然の力にはかないっこないのであろう。

それを、受け入れなければならないのだろう。

ちっぽけな、自然の一部として。

 

ムーミン谷の仲間たち』は、9つのお話からなる。

それぞれ、違った仲間たちが登場し、

お話の雰囲気も、それぞれに異なる。

しかし、どれも哲学的だし、仲間たちの人生論とも読み取れる。

それぞれ、違った種であろう仲間たちが、

1対1で向き合っていて、また、

一人一人が自分の生き方を模索しているところが素敵で、

十分に大人が読むに値する本ではないかと感じる。

 

スナフキンと、ティーティ・ウーの話もいいし、

姿が見えないニンニの話も好き。

ムーミンママのやさしさや大らかさに、心が和む。

ムーミンのちいさな竜の話は、

切なさが残るけれど、吹っ切れた感があるし、

ヘムレンさんの話は、どんな生き方をも選択できる、

自由を感じる。

スニフとセドリックのことの中の、

スナフキンのしてくれるお話がまた、とても素敵。

こんな風に、お話を通して、人を勇気づけるって行為もいいなぁ。

(『火のくつと風のサンダル』のお父さんを思い出した。)

 

どのおはなしも、ここかしこに哀愁があり、

生きることの大変さを描きつつも、

なぜだか、ユーモラスなのである。

そこが、いいなぁと思う。

ちょっと、薄暗さを感じる世界だけれども、

みんなそれぞれ、自分らしく生きようとしているのが、

伝わってくるお話である。

辛いことばっかりって、思っても、

別の方向から見てみると、笑えることもあるもんだ。

 

生物が、死ぬということが、遺伝子に組み込まれているのは、

この地球上に生きていける命に、限りがあるからだろう。

生まれて、次の命に引き継いで死んでいく、

そういう風に、できているのだ。

 

平均寿命が80歳をこえる社会に生きていて、

若くして亡くなることは、とても辛いことだけれども、

その人の死を通して、だれかしら、

彼・彼女の分まで頑張ろう!強く生きていこう!って考えたとしたら、

もう、そこで、亡くなった人は、誰かの中にそういう思いを生んだのだ。

引き継ぐ何かを、伝えたのだ。

だから、亡くなった人の死を、無駄にしないのは、

生き残った者たち次第であろう。

その生き方に、亡くなった人への思いが込められているならば、

決して、亡くなった人の命は無駄ではない。

引き継ぐのは命だけに限らず、その人の思いだったり、生き方だったりする。

誰かと全く同じように生きることはできないが、

私たちは何かしらを受け継いで生きているのではないだろうか。

ずっとずーっと、遠い昔から、そうやって人間は生きてきたのだと思う。

 

ムーミンのシリーズも、未読本はあと2冊。

この世界観、好きだなぁ。