とみいよむよむにっき

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「信頼」「好き」の重さ

信頼できる人というときの「信頼」という言葉は、

なんとなーく、良い意味合いを持つ言葉のように思っていた。

私の場合、大抵の言葉を「なんとなーくこういうイメージ」

という風に捉えているという、情けない状況である。

 

で、「信頼」という言葉に戻るが、

この言葉は、人に対して、どちらかといえば、

良いイメージがのっかる言葉だと思っている。

信頼という言葉を、辞書で引いたことがなかったので、

ちょっと調べてみた。

 

大辞林』によると

信頼…信じて頼ること。

・・・字面そのまんまじゃないか・・・

では、『新明解国語辞典』ではどうか。

信頼…その人やものが、疑う余地なくいざというときに

頼る(判断の拠り所とする)ことができると信じて、

全面的に依存しようとする気持ちを抱くこと。

また、その気持ち。

 

大辞林』と『新明解国語辞典』のこの差!

 

「全面的に依存しようとする気持ちを抱くこと。」

という意味があるというのは、正直しらなかったぁ~である。

なんとな~く、言葉をイメージでとらえて、

そのイメージからあまり離れない感じで使っている私にとって、

「全面的に依存しようとする気持ちを抱くこと。」

という意味が記されていることは、大変恐ろしいと感じることであった。

 

○○さんを信頼している。

と言ったとき、その○○さんをまるっきり信用し、

全面的に依存しようとしている気持ちを持っている

ってことになると、単に信じて頼るとは、

どうも、自分の伝えたい信頼とは、意味が異なるように思う。

「依存」って言葉が、自分の持っているイメージとマッチしないってことか。

例えば、あなたを信頼していますといわれたら、

いやいや、全面的に依存されても困ります…って気持ちになる。

「信頼」って言葉は、かなりヘビィな言葉であるな。

ホクホク喜んで受け取ってはいけない言葉だ。

 

実際は、結構簡単に使われる言葉で、簡単に受け入れたくない言葉に

「好き」って言葉があげられる。

単に、食べ物とか、場所とか、音楽とか、

そういう好きならば、使って平気なのだけれど。

人に「好き」って言葉は、不適当ではないかと、

この頃思うことがある。

ちなみに、読んで面白い『新明解国語辞典』によると、

好き…①自分の感覚や感情に合うものとして心が引きつけられ、

積極的に受け入れよう(接し続けよう)とする気持ちにさせられる様子。

②他から束縛などを受けることなく、意の向くままに行動する様子。

③物好きな様子。特に好色な様子を指す。

 

私が今、不適当ではないかと言っている、

人に対して「好き」っていうのは、①の意味と思われる。

これは、『大辞林』では、

心が引きつけられること、また、心にかなっているさま。

風流・風雅の道。また、それに深く心を寄せること。

と、なっている。

 

この「好き」って言葉を、人に使うとしたら、

私の場合、親、姉妹、我が子くらいだなぁと思う。

なぜかというと、人って変わるので、その自分が

ずーっと好きでいられる人なんていうのは、

血が繋がった親族くらいのように思えるから。

「好き」っていう気持ちを、他人に伝えたからって、

それが何になるのだろう?という冷めた気持ちになる。

その点、親だったり、我が子だったりは、

いくら、自分の感覚と合わないことがあったとしても、

いやだなぁと思う部分があっても、やっぱり「好き」からは

逃れられないような気がする。

そういう気持ちが「愛する」ってことなんだろうなぁと思う。

好きとか嫌いを超えるというか…。

 

誰かに好きって言われることが、心地いいとか、

自分の気持ちを満たしてくれる人も多いのかもしれないが、

その「好き」って、ちょっとしたことで変わるものだ。

そういうことが分かっていても尚、その気持ちを伝えたい

っていうのは、どういうことか、私にはわからない。

ひと時の感情を、押し付けられたような気がして、

心が落ち着かない。

「好き」って言葉で、私を評価されているようにも取れるし、

私自身、自分のことを好きになるのに、

相当難儀をしているのに、簡単に好きだといわれると、

そんなの、私のほんの一部でしかないとか、

一体私の何がわかってるっていうんだ?って思う。

それに、「好き」ってわざわざ伝えるのが、またよくわからない。

何か、求められてんのかなぁって…考えてもわからないし。

そういう心に、応えられるわけもないし。

ま、聞き流すのがよかろう・・・。

ただ、解って欲しいのは、

あなたの使っている「好き」って言葉、

誰もが、喜んで受け取れる言葉ではないんですよってこと。

 

結論として、信頼とか好きって言葉、

心の中で思っていても、人にぶつける言葉ではないような気がする。

かなりの圧を感じる言葉だ。

 

今、私が、心から「好き」って言えるものは何だろうと

考えてみたら、やっぱり、そうめんかなぁって…。(笑)

そうめんは美味しくても不味くてもいい。

私はそうめんに、その存在以外何も求めていない。

わざわざ「好き」って言わなくても、その存在が私を幸せにする。

夏だって、冬だっていつだって、構わない。

食べ物として、これほど好きな物はない。

しかし、そんなそうめんだって、もしかしたら、

「もう、一生食べたくない!」ってくらい、

嫌いになることがあるかもしれない。

だから、簡単に「好き」っていうのは、やめよう。

そうめんを傷つけちゃうからね。

 

人を幸せにする言葉に属するのかもしれないが、

人間に「好き」って言葉を使うと、いつかきっと、

誰かを傷つけちゃうような気がするから嫌なのだ。

だって、人間の好き嫌いは変わるからね。結構簡単に。

 

言葉は大切だと思っているけれども、

人間の根本的なところ、大事な気持ちを伝えるのに、

言葉にばかりに頼るのは、いかがなものか。

コミュニケーション能力とは、言葉ばかりではないように思うのであった。

もっと、言葉以外のことも感じてなきゃなぁ。

 

暑すぎて、私の中のあまのじゃくが起きだしてしまった。