とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

睡眠は大事です

睡眠不足だと、熱中症になりやすいので

しっかり眠ってくださいね、と、

娘が病院の薬剤師さんに言われていた。

 

リオとの時差が、ちょうど半日ってことなので、

日本のオリンピックTV観戦組は、寝不足である。

加えて、この暑さ…

睡眠は大事。

今日から仕事のため、昨日は卓球女子団体の

三位決定戦も途中で見るのをやめて就寝。

朝から、結果を見て、

「あー、最後まで見ればよかったなぁ~」

と思ったけれども、今日のためには、

昨日の選択は間違いではなかったか。

本日も暑そうである。頑張るぞ!

オリンピックTV観戦して思うこと

旦那の実家に帰省中、

義父が卓球を楽しんでいるのも手伝って、

みんなで男子の卓球3位決定戦を観戦。

 

3位決定戦は、卓球にそんなに興味を持っていない人にも

その面白さが存分に伝わった試合だったと、

卓球をしない、単なる観戦者の私は思った。

 

水谷選手は、TVで見かけるようになって、

もうずいぶん久しいような気がする。

だけれど、やっぱり、華やかさや、かわいさで

女子はTVなどでもかなり取り上げられるものの、

男子はどうも、扱いが…と思わないでもない。

そうそう、10年位前の、フィギュアスケート

男子シングルのような扱い。

 

でも、今回の銅メダルで、きっと追い風が吹くと思う!

女子だけじゃないぞ~って、そんな風に思う。

卓球の水谷選手の粘り強さには、ほんと凄い!

と、感動させてもらった。

パッと見、やさしそうで、おとなしそうなお兄ちゃんというか、

なんというか、闘争心という言葉は、彼からは想像できない。

しかし、あの、粘り。

なんというか、やっぱり、かっこよさっていうのは、

見かけだけじゃない、その人の内面からにじみ出てくるのだなーと

改めて思う。

失礼を承知で…決して、二枚目顔ではないと思われるが、

卓球している水谷選手は、とってもイケメンである。

 

オリンピックを見ながら思うのだが、

あの場所にいる人たちは、自分が輝ける場所、

自分の力を発揮できる事を、しっかり自分で見つけた人

のような気がする。

そして、その自分の輝ける場所、自分の力を発揮できる場所というのは、

誰にでも、必ずあるはずである。

自分を見つめて、自分に何が出来るのか、

何であれば、打ち込めるのか…そういうことを

見つけられた人は、幸せだなと思う。

オリンピックに出場するような人たちは、

見つけられた人だと思う。

 

その輝く場所というのは、決して、TVやネットで注目されるということ

ばかりではないはずだ。

確かに、TVに出るとか、ネットに取り上げられるという事実は、

数多くの人の目に届き、多くの人に力や勇気を与えるかもしれない。

けれど、人が輝くということは、大勢の人に認められるということ

ばかりではないと私は思う。

 

オリンピックに出場する選手には、彼らなりの働きがあり、

そうでない人には、別の場所で働くことで、

誰かに幸せをもたらすという使命があるはず。

生き方は、数多あり、

一人一人、自分の満足できる行き方を見つけられれば、

それが幸せではなかろうか。

 

水谷選手とサムソノフ選手のラリーを見ながら、

ボールをただ打ち合うことで、人々に感嘆の声を上げさせるなんて、

やっぱり、オリンピアンって凄いなぁ~と思ってしまった。

どちらも、メダルは欲しいはずで、どちらも一生懸命で、

でも、勝ち負けの勝負は決まるわけで、

スポーツのこういう、筋書きないはずなのに、

物凄くドラマティックに見えるところが、

小説とは違った、面白さだなぁと思う。

 

さ、今晩は、錦織君VSマレー選手のテニスを観戦しよう!

オリンピック

暑い日が続いているけれど、今日は立秋

残暑・・・というには、暑すぎる。

しかし、朝起きて、ベランダから見た空は、

心なしか、真夏の空とは違うようにも見える。

今日も一日暑そうだけれど、

昨日の夕方雨が降ったからか、ちょっと涼しい。

昼間は暑くなるだろうけれども。

 

 

あー、『葬送』に没頭する8月のはずなのに、

ついつい、TVチャンネルをあちこちザッピング。

 

NHKの男子体操予選を見てしまった。

リオの体操の会場、色合いが、バンクーバーの時の

フィギュアスケートの会場に似てるなぁとか思いながら。

 

フジで、メダリストさんたちがキャスターやっている中に、

フィギュアスケーターの髙橋君がいるのが、なんか不思議だ。

フジは男子個人総合も放送するようだから、

その時は、髙橋君の言葉が面白いかもしれない。

 

スポーツの祭典ではあるが、それぞれの種目、

随分と違いがあるなぁと思う。

レスリングや柔道のように、相手がいて、取っ組み合って、

まさに「戦っている」感が強いもの。

1対1、もしくは2対2で、

相手はいるけど、「戦い」っていうのとは、

ちょっと違うように思うテニスとか、卓球とか。

アーチェリーとか、体操とか、シンクロのように

自分の実力を、その一瞬、出すことができるか、

みたいな、自分との勝負みたいな競技とか。

あと、個が集結したチームプレイが醍醐味の競技とか。

 

昔は、チームプレイの競技って、好きだったけれど、

最近は、個の競技が好きだ。

その一瞬、力を発揮できるかどうか、全部自分で背負って、

自分がやったことがそのまま結果となる競技。

やり直しの効かない、一回の演技にかけるというか…

自分に向き合う姿勢みたいなものが出て、面白いと思う。

髙橋君がやっていたフィギュアスケートのシングルは、

体操の個人総合と、同類の競技だと思うので、

競技への理解度は、すごく深いのでは、と思うのだ。

 

男子体操は見るとして…

オリンピック競技を全部追っかけていたら、

大変時間を費やすので、ほどほどにしたい。

でも、卓球とテニスは見るかもしれない。

体操のような採点競技とは違って、

一対一の球技は、相手がいるものなので、

技術面や精神面だけでなく、相手への反応というか、

とっさの判断とか、時には運とか、

そういうものを見ることができる競技で、

ときどき、え?!そんなことができるの?!

という瞬間に出会えるかもしれないという期待がある。

こちらは、試合時間が長いので、

本当にめっちゃ時間をとられてしまう。

その観たい一瞬を見逃さないように見たいとも思うけど、

面白い試合になるかどうかはわからないし、

どの試合でもスーパープレイが飛び出すわけでもない。

また、スーパープレイは出なくても、とても面白い試合もあるし。

 

スポーツ観戦は、その試合の中に垣間見える、

選手の人となりや、ドラマを楽しめる。

読書とはまた違った楽しみである。

そこに、作り込みや、やり直しはなく、完璧なライブだから、

ついつい、はまり込んでみてしまうのかもしれない。

昨日、内村選手が鉄棒から落ちた時に、そう思った。

睡眠不足になると、暑さに対応できなくなるので、

たいがいにしておこうとは思っている。

体操と、卓球とテニス、マラソン、アーチェリー・・・

おやおや、ずいぶん見たいものがあるな。

 

あと、この時期は、広島、長崎に思いを寄せる時期でもあり、

71年たった今でも、何かしら、新しい証言などが

放送されたりするから、タイムシフトで探して観ている。

これも、あちこちすっ飛ばしながら見るわけにはいかない番組なので、

結局、テレビの前から離れないってことになる。

 

いかんいかん、夜は読書をしたいのに。

これでは睡眠不足になって、この夏の暑さに対応できなくなる。

タイムシフト様の力をかりて、うまい観戦ができますように。

今日は昨日の分も本を読みたい。

蝉しぐれ

通勤途中、ビルの横に

ケヤキが16本2列に並んだ通りがある。

そのケヤキの下を通るのが、楽しい。

葉が茂っているので、太陽に光をいい感じで遮ってくれる。

雨が降っても、傘に落ちてくるのは、

ケヤキがいったん受け止めた雨だれなので、

傘に当たって響く音が、不規則で面白い。

 

梅雨明けに、このケヤキの木の下を朝通って気づいた。

おびただしい数の蝉が鳴いているのである。

それはもう、せみセミ蝉の、大合唱で、

鳴くのはオスばかりって、ほんとうなのか?

と思わせるくらいの。

そのケヤキのトンネルの中では、

蝉の声しか聞こえないのである。

蝉の声が響くと、暑く感じるものだが、

このケヤキの下で聴く蝉の声は、うるさいとは違う。

 暑さを通り越しているくらい、響いている。

蝉の声のうねりが、頭の中でぐるんぐるん。

トンネルをゆっくり歩いて、全身に

蝉の声シャワーを浴びると、

16本のケヤキの下を通り抜けた後、

街中なのに、シーンとする瞬間がある。

耳の奥で感じる、静寂。

どこか、遠いところに連れていかれた気分になる。

暑さとかではなくて、鬱陶しい皮をべりっと剥かれた気分。

その静寂の中、感じる涼が、心地よい。

 

ケヤキのトンネルの下、見上げると、

お行儀よく並んだケヤキは、ちょっぴり薄い緑の葉っぱを輝かせ、

太陽の光をうまい具合に透かして届けてくれる。

風に揺れる枝葉は、軽やかに踊っているようで美しい。

人工的に植樹された並木であるが、

そこに集まる光や風や雨や、鳥、蝉の鳴き声は、

計算されたものではないように思う。

 

人工的な光や音は、どうも感覚に優しくないが、

自然のものは、少々度が過ぎていても、

ある程度は人間の感覚で受け止められるものだ。

受け止められない程のものを、

人は、危険や恐怖に感じていたのではないだろうか。

 

自然の中で生きていたころの感覚を忘れないように、

時々、風に吹かれたり、雨に濡れたり、

音に耳を澄ましたりする。

人の声も、自然のものであるが、

悲しいかな、その言葉はかなり、

心に優しくないものになりつつあるような気がする。

人と話をしていると、大変疲れるときがある。

山の中に引きこもりたいような気分になる。

人間も自然の一部であると言われ、納得できる部分もあるが、

知らず知らずのうちに、

人間は自然の一部であることを捨てているのかもしれない。

そうなりたくないので、時々立ち止まる。

うるさいと感じる蝉の声であっても、

人の精神を弱らせるようなことはない。

 

自分が発している言葉も、不要なものが沢山あって、

喋るのが億劫に感じられる。

インプットするときにも、篩にかけることが大切だけれど、

アウトプット時には、それ以上に絞り込んで発したい。

人間の言葉は、蝉や鳥の声とは違い、余計なものを

多く含んでいるから。

 

「人間だけが、のべつ幕なし騒音をまき散らしているのだ」

『シングル・セル』増田みず子:著の中の文章だったか…。

頭の中で、言葉を使って、とめどなくいろんなことを

考えていても、外に出す言葉は、その一部でいい。

一割なんて、多すぎる。

ほんの数パーセント、そんなところだろう。

1パーセントにも満たない、それくらいでいいように思う。

とにかく、人の言葉には、用心しなければ。

 

本を読んでいて、それが、心地よいとか、

満たされる気持ちになるのは、

きっと、その言葉が絞り込まれた言葉だからではなかろうか。

それができない自分が、ベラベラと喋り続けている事実に、嫌悪感。

どうして人間は、どうでもいいことを付け加えてしまうのだろう。

伝えなくてもいいことや、伝えたくても伝わらないことが

沢山あることに気づいているのに。

いや、もしかしたら、気づいていないのかもしれないが・・・。

 

視覚、聴覚、嗅覚、触覚と、感じる器官は

目、耳、鼻、手と二つずつあるが、口は一つしかない。

口は禍の元、どんな美しい言葉も、

人を褒め称える言葉も、多すぎるとそれは、

気分を害する言葉になるような気がする。

ほかの動物を見ても、口は鳴くとか吠えるとか

それくらいの音を発するくらいで、

もともとは、エネルギーを得るための器官であるし。

 

あ、そういえば蝉は、口で鳴いているのではなかった。

蝉の発音器官が発達して、余計な音をたてるように

なったりするのだろうか。

今のところ、メスを呼びよせる以外に

何の余計な思惑もなさそうだが。

もし、そうなったら、蝉時雨も耳障りなものになるかもしれないなぁ。

読書日

昨日は、仕事が休みだったので、沢山洗濯物を干して、

買い物に行って、あとは、暑い時間はうだうだした。

ゆうがた、ちょっとだけ雨が降ったので、

少し涼しくなり、『ショパンを嗜む』の残りを

全部読んでしまった。

 

4日目にして、ようやく『葬送』を読み始めた。

第一部に入る前に別れの会前の場面が十数頁あるのは、

今まで何度かチャレンジして、挫折しているからわかってはいた

初めてこの本が出た2002年には、

もう、登場人物の名前が、カタカナで大勢というので、

イメージしきれないというか…

苦手な本だと思い込み(今回も途中でそう思うかもしれないが)

あの、厚さの本が2冊…ということもあって、

「無理やん」とほとんど読み進めることなく、図書館に返却した。

 

今回、『ショパンを嗜む』で、ショパンをめぐる人々が

紹介されていたので、イメージしやすく、

名前とショパンとの関係も情報として入っていたので、

挫折せずに読めそう・・・『ショパンを嗜む』を読みながら、

「はやく『葬送』読みたい!」という気持ちにまでなっている。

 

昨日は第一部に入る前の十数頁だけ読んで、

10年以上の歳月がたち、自分も少しは成長したのかな、と思った。

十数頁の葬儀前の場面が、浮かび上がってくるのを感じた。

その喧噪の中に、自分がいるような感覚。

また、ショパンの死を受けとめることができない

ドラクロワの様子が、とても苦しくて、

自分はまだ、そういう別れを経験したことがないのだが、

ドラクロワになりきってしまって、

彼の代わりに、涙を流すという、これまでにない体験をした。

 

良い読書タイムだったなぁ。

今日も夜になったら、ゆっくりと、『葬送』を読み進めよう。

 

勝手に決めた

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この3冊を、私の2016夏の課題図書に決めた。

午後から、『ショパンを嗜む』を読み始め、

Chap.2の、フランスのお風呂事情を読んでいたら、

無性に入浴したくなったので、

夕方、食事の用意の前に、風呂の湯をため、

のんびりと入浴をした。

そこで、読書タイムが途切れたが、

ショパンを嗜む』が面白そうであることは

よくわかったので、これから読んでいく。

まえがきにあるように『葬送』の導入になるとある。

副読本とも…。

これから、併行して読んでいくつもり。

ゆっくり時間をとれるというわけでもないが、

それでも1か月少しずつ読んでいけば、『葬送』を読破できるはず!

 

葬送 平野啓一郎が選ぶ”ショパンの真骨頂”

こんなCDが発売されていた…ということを、今日初めて知った。

近くでレンタルもされていなくて、残念である。

 

ちなみに…ショパンといえば、

すぐに浮かぶのは、プレリュード作品28 第15番の

♪雨だれ♪と呼ばれる曲である。

小学2年生の頃、♪およげ!たいやきくん♪が大ヒットした。

その次の年だったか、初めて我が家にステレオがやってきて、

父が買ってきてくれたレコードの中に、

ひらけポンキッキのアルバムがあった。

我が家は朝、テレビをつけない家だったので、

ひらけポンキッキを見たことはなかったのだが、

そのアルバムには♪およげたいやきくん♪や

♪いっぽんでもニンジン♪のような、ヒット曲のほかに、

番組で流れていたのであろう曲が何曲も収録されていた。

その中に、♪雨もり寺のおしょうさん♪という曲があり、

(今調べたら、歌っていたのは平野レミさんだって!)

曲の中で、突如流れるピアノ曲があった。

それが、♪雨だれ♪という認識になるのはまだ先だけれど、

雨好きな自分には、とてもキャッチーなメロディーだったなぁと思う。

 

私がクラシックを聴くことが増えたのは、

フィギュアスケートのおかげなのだけれど、

そのフィギュアスケートでも、ショパンの曲を使う選手は多く、

特に、ショパンといえば、浅田真央選手のイメージ。

 

そういえば、水谷豊が赤いシリーズで主演をやった時も、

ピアニストの卵でショパンの曲を弾いていたっけ。

英雄ポロネーズ♪だったか?

(あら?きょんきょんも、同じ曲をドラマでやっていたような…)

 

有名な作曲家のショパンだけれども、

クラシック音楽には疎く、知らない曲が沢山あるので、

あれこれ曲も楽しみつつ、読書を進めていけたらなぁと思っている。

 

 

 

20160730

先日、『葬送』ハードカバー上下巻を中古で買ったので、

夏休みは、じっくり読みたいと思っている。

その下準備として読みたいと思っていた本がある。

その本を借りようと思って、昨日、図書館に行ってきた。

 

図書館に行って、借りてきた本。

ショパンを嗜む

 

インターネットで、ショパンの作品を聴くことができるのは、

こういったときにはすごく便利だなぁと思う。

youtubeで調べると、出てくる出てくる。

昨日は、内職をしながら、あれこれショパンピアノ曲を聴いた。

フィギュアスケートが好きでよく見るので、

ショパンの曲は、結構な頻度で耳にしていた。

この本を読んで、少しショパンとの距離を近づけてから

『葬送』を読み始めようと思う。

 

平野氏関係で、こちらも。

新潮 2016年 06 月号 [雑誌]

アルゲリッチの《夜のガスパール》のために

アロイジウス・ベルトラン『夜のガスパール』より(平野啓一郎訳)

これが読みたくて。

 

あと、最近、若松英輔氏が気になる。

それで、エッセイが連載されている

岩波書店の『図書』を4~6月号と、

文學界 2016年4月号を借りてきた。

 

文學界2016年4月号

 

表紙にもあるが、特集の中、

東北から文学を考える 東日本大震災から5年

の中の「語らざる者の詩学」が気になって。

 

また、タイムリーなことに、九州芸術祭文学賞の発表もあり。

午後からは、『ショパンを嗜む』を読もう!

そして、夜は『葬送』を少しずつ読もう!