とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

誰の心にも

年末から今日にかけて読んだ『レ・ミゼラブル

ぐいぐいと引きつけられる箇所と、
読むのが、苦しくてしかたない箇所とが
入り乱れて、大変な長旅であった。

小学校5年生くらいだったと思うが、
『あぁ、無情』で読んだものとは、別物。
同じ児童向けであるのに、何たるこの差。

しかし、思うに、この物語は子どもの私に
どこかかなりの影響を及ぼしていると思える。
もちろん、今の私にもだ。
かなりの抄訳だったと思われるが、
それでも、子どもの私には強烈な物語だったと思われる。

30年以上の年月を経て読んだ『レ・ミゼラブル
全訳ではないとしても、子どもには十分すぎる内容だ。
これで、半分弱とは…。
岩波文庫には、原書の挿絵300枚も収録されている
らしいので、次に読むとしたら豊島与志雄訳の
岩波文庫全4巻かな?

この物語の主人公はジャン・バルジャンだと思っていたし、
今回読んでもやはりそう思うのだけれども、
レ・ミゼラブル=悲惨な人々ということで、
悲惨な人々、多くの人にスポットが移っており、
このタイトルなのが納得できた。

自己の中にいる、嘘をつけない、嘘をついてはいけない
と思う存在…ジャン・バルジャンは、人生の半ばでそれに
気付かせてくれたミリエル司教に会えて、
その後の人生は、過酷だったかもしれないけれども、
自分と向き合って満足いく人生だったのではないか。

宗教的でありながら、宗教とはまた離れた所の、
自分の拠り所というか、良心というか…
それは、『ああ、無情』を読んだ頃、子どもながらに、
その重いテーマを受け取っていたのだと
本を読みながら感じたのだった。
子どもの時に深く感じた所には、
やはり今回も感じ入ったし、今だからこそ、
理解できるところもあった。

今年の読書一作目は、とてもいい読書ができ、
また、子どもの頃のことを思い出すきっかけにもなった。
誰の心にも同じようには響かないと思うが、
何かを感じさせてくれる文学であると確信したし、
これは、中・高校生で読むべきだったなぁと思うのだ。