とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

「輝きたくない!」

8月10日の西日本新聞経済電子版に、

「輝きたくない!」ってタイトルのコラム

(記者:下村ゆかりさんによる)を読んで、ほほぅ…と思う。

 

全部読むには登録が必要なので、途中までしか読んでいない。

しかし、400字に満たないほどのその途中までのコラムで、

あぁ、同じように考えている人もいるんだなぁとホッとする。

全文、読みたいなぁ。

 

途中までで良ければ、こちらで読める↓

qbiz.jp

 

「女性が輝く社会づくり」っていうスローガンみたいなものに、

違和感を覚える。

ここで、「女性が」ってわざわざ謳わなきゃいけないの?

輝くって、どういう状況を指しているのだろうと、考える。

私は、上の子が幼稚園を卒園するちょっと前まで、

専業主婦をやっていた。

そのあとは、家族が寝ている間にできるからって、

朝刊の配達を6年ほどやったのだが、ほぼ、10年間は専業主婦だった。

今は、そうは思わないが、専業主婦って、実に肩身が狭かったような

記憶がある。コンプレックスというか…。

女性の社会進出って、TVなどに取り上げられ、

それが、社会のあるべき姿って言われれば、

子育てしながら、社会でバリバリ働くお母さんという像とは、

ほど遠い自分って、なんなんだろうなぁと思ったこともある。

しかし…今はそんな風には思わない。

例えば、子育てに専念している人がいていいじゃないか。

逆に、結婚せずに働くって選択もあるでしょう。

家庭菜園に熱を入れる人がいてもいいし、

ボランティアで幼稚園や小学校に読みきかせに行くことを

生きがいにしてもいいじゃない。

みんながみんな、お金を稼ぐことを生きがいにしなくていいじゃない。

「貧乏でもいいから、ゆったりまったりした生き方をしたい」って人は、

そのままでいいでしょ?

庭の花の世話をしているときが一番充実してます

って人だっているはずだ。

わざわざ、「女性が輝く社会つくり」って目標を掲げているということは、

輝いていない女性が多いって、捉えられているんだな。

いったい、どういう生き方を求められているんだろう。

 

この、コラムにあるように皆が皆、輝きたいわけじゃない。

本当にそう思う。

静かに、穏やかに慎ましく暮らす日々に満足している人は

間違った生き方、みたいに聞こえるのが、嫌だなぁと思う。

 

また、

一億総活躍社会」っていう言葉も大変うさん臭く思うが、

新三本の矢って、

①希望を生み出す強い経済:GDP600兆円

②夢を紡ぐ子育て支援出生率1.8%

③安心につながる社会保障:介護離職ゼロ

らしい。

どれをとっても、ケッ!と思う。

結局、老若男女、障害者も、みんな自分で稼ぎましょう。

将来の年金制度を担う子どもを産み増やしましょう。

介護は一生じゃないから、介護が終わった後も働きましょう。

ってことかい。

年金を当てにせずに暮らせるくらい、蓄えといてね、ってことか。

 

出生率を上げることに目標値があるなんて、

国のために子どもを産んで育ててきたんじゃないし。

自分たちの老後を見てもらうためでもないんだよ。

 

総務省が発表している今年7月の概算値では

日本の人口は1億2699万人。

作家の平野氏も呟いていたが、

自分は、2699万人の中にいて、活躍する一億の中には

含まれないと考えておこう。

どうして、国が良しと考える生き方を押し付けられて

生きなければならんのだろう。

それが、輝く生き方だと、本当に思ってるんだろうか?

 

こういう政策を掲げられると、性というものを、

うまく利用されているように思うし、

いつまでも「女性が」なんて言ってるのって、

逆に蔑まれている感じがしてくる。

男性とか女性とか、いちいち出してくるな!と言いたい。

 

世の中、オリンピックで、ピッカピカに輝いている人が

わんさかテレビに出ているから、

余計に、全員がピッカピカなんてありえんでしょって思う。

メダルを取った選手なんか、メダルの数しかいなくって、

それ以外の人たちのことは、どうなのさ…と思う。

沢山の選手たちを、リオに送り込んでおいて、

勝手に期待させておいて、成績が振るわなかったら、

そういう選手はいなかったような扱いで。

輝いていないような錯覚に陥らせているのは、

マスコミもだけど、世間の人たちじゃないの。

 

暑いので、なんだか暑苦しい文章になってしまった。

処暑まであと五日なのに。

全くいつまでも暑いんだから…。