とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

なぜ読書か

読む力は生きる力 物語が生きる力を育てる 自分を育てる読書のために

読む力が未来をひらく――小学生への読書支援

おはなし会に求められるものは、楽しさだけだろうか?

家庭で絵本を親子で読むとき、どんな本を選んでいるか。
自分が子どもに本を読んでいた時、どんな思いで読んでいたか。
大人が、「本好きになって欲しい」という思いの時、
その願いの根底には、一体何があるのか。

そういうことを、時々考える。
我が子にではなく、なぜよその赤ちゃんに、
よその幼児に、はたまた、小学生や中学生までに
本を読みに行くのか、と、家族に訊かれると、
うまいこと応えられない。

何かを教えに行くわけではないし、
ただ、本を読んだり、わらべ歌で遊んだり。
でも、決してきゃあきゃあ笑い転げるような
おはなし会ではないし、
楽しいってだけじゃないような気もする。

なぜ、本なのか。
現実は、本ではない何かを求められたりしているのではないか。
「本好きであって欲しい」私もそう思う親である。
何かを好きであることは、生きている楽しさが増す。
目標や夢も、見つけやすいように思う。
本を読んでりゃ、それでいいってわけではないけれど。
映像と違うところは、考える間を自分で作れるってこと。
自分の頭の中で、好きに思い描けるってこと。
また、本を読んだことで、自分の感情の中に、
今までになかった別物が芽生える、そう思う。
疑似体験とよくいうが、感情は実際動いているわけで、
実体験とは別かもしれないが、読まなかったら、
一生生まれない感情もあるかもしれない。

脇明子さんの本を読み返している。
自分がおはなし会で選んでいる本や、
これまで我が子に読んできた本を振り返る。

ゆっくり、脇さんの言っていることを噛み砕きながら、
少しずつ読み返している。
どうして、子どもたちに本を読みたいのか、
自分が、何を手渡していきたいのか、
そういうことを、考えつつ。

後世に何かを残すべきものがあるとして、
それは、大人が子どもに手渡さないと残らないものも
あるだろう。
文化とは、そういう物だと思う。
どういった文化を伝えていくかは、
人によって、その思いや、向き不向きがあるから、
自分に出来そうなことをやっている。

私が伝えたいこと、伝えなければならないこと、
それは、何かを、はっきりつかみたい。
そんな気持ちで、脇さんの本を読む。