とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

諦めちゃっていいのか?

http://ecx.images-amazon.com/images/I/51A5QNkTSXL._SX296_BO1,204,203,200_.jpg

今、電車の中で読んでいる本。

ちょっと、朝から読むには、気が滅入ることも

書いてあるが、目をそらさずに…。

 

「悪」と、一言で言っても、いろいろあると思うが、

最近は、人の価値観に対して、大変寛容な時代であるので、

どれをもって「悪」と言うかは、難しい。

 

著者は、読者に問いかけているようで、

自問自答しているようで、読んでいて、

これ!とはっきり答えが出ないのだが、

その、答えがはっきり出てこないもの。

それが「悪」とも言えるように思う。

 

読みながら思うことは、

人は何かに寄りかかって生きていて、

だけれど、何かの拍子にその拠り所が消えたり、

姿を変えたりすると、心の中に隙が出来るというか、

欠落感とか、虚無感を感じ、その空虚な中に何も見いだせず、

結局、何も確かな物ってないんだという諦めから、

破壊衝動を撥ね退けることができない。

そういうものが、「悪」の始まりなのかなぁと。

 

考察力とか、想像力とか、

そういう物に、人間は随分救われているようにも思うが、

それが、虚無のほうに向かっていくと、良くない結果も生む。

結局は、人間は、善も悪も持ち合わせており、

深層心理で、「悪」を切望するということもある生き物だと

諦めて、殺人や殺戮だの強奪だのに手を染めることを、

許容してしまうことも出来てしまう。

でも、そこは、やはり・・・理性とか、知性とか

持っている生物であるということを、自覚したい。

そういう性分なんで…と、諦めていいとこと諦めちゃいけない部分を

見極める生物でありたいではないか。

 

いや、見極めるというよりは、

本当に、感覚的に幸せの方へ向かう生き物になりたい。

本能とでも言おうか…

ひまわりが、太陽を追っかけるように。

虚無からでも、何かを見出すような生き物でありたい。

 

この本を読み終えた時、善悪について1つだけでも、

「これ!」と、自分なりの正解を出せたらいいなぁと思いながら

電車の中で読んでいる。