とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

返却日

やっと、読み上げた。
ひみつの王国: 評伝 石井桃子

2週間の図書館の貸出期間を、
一度延長かけて、4週間。
晴れて読み上げての返却日となった。
長く時間をかけすぎたような気もしないでもないが、
まぁ〜読んでしまったわ、という感想がまず。

この本については、何度も手に取りつつ、
図書館で借りては、読まずに返却ということが
なんどかあり、
今回、大好きな先生の講座で、この本が参考図書に
挙がっていたので、ようやく本気で読む気になったのだ。
それにしても、4週間近くかけて読むとは…
というのは、この本が500頁を超える単行本で、
まぁ、電車の中で読む本ではないわな、と思っていて、
自分の寝床の枕元において、
就寝前に読むスタイルだったから進まなかった。

結局、昨日はこの本を電車の中で読む羽目に…
とはいえ、電車の中って、結構20分間でも
じっくり読めるから不思議。
帰りの電車の中では、この本をたったまま読むことができ、
なんだ、大きさあまり関係ないのか、と思った。
帰りの徒歩は、買い物した食材と持って、重かったけど。

さて、この本を読むにあたり、読めなかった理由として、
読み上げた今でも感じている、強烈な違和感がある。
石井桃子さんの大きな業績や、それを長年支えてきたものが
何であるかということは、
子どもに本を手渡すことをやっている自分としては、
知りたいことであるし、知らねばならぬことであると
思っていた。
けれどもですね、この本のまえがきをちらと読んで、
なんとなく、これは、読まねばならない本ではないのかも、
という懸念みたいなものがつきまとって、
昨年6月末の発行以来、図書館で借りるかどうか悩み、
借りては、結局読まずに返しということを、
何度か繰り返してしまった。

こちらの本は、そんなこと、あまり考えなかったのだが。
石井桃子のことば (とんぼの本)


『ひみつの王国』500頁を超すこの本に、
読みながら、プチ付箋をつけていったところ、
読み上げた今、40枚ほどの付箋がついている。
図書館の本なので、本日返すときには、
この付箋を外さなければならず、
今日は、午前中の図書館での講座のあと、
付箋箇所の文章を、急いで書き写さなければならない。
40か所も、大変…
とはいえ、500頁以上ある本で、
40か所とは、何という少なさ、と私は思う。
もちろん、一つでも、心に残ることばがあれば良し、
そんなつもりで、普段は読んでいるのであるが。

一つには、この本には、余計なことが多すぎる。
石井桃子さんのことを、洗いざらい…という
著者の新聞記者魂みたいな気質が窺えるというか、
正直、そこは、評伝とはいえ、表に出すことでは
無いのではないか?と思えることが、結構書かれている。
私がスムーズに読み進められなかった理由は、
そこにあったと思われる。
評伝というより、著者の憶測と思われることが
かなり加えられていることから、
自分の中で篩にかけることが、多過ぎて、
かなり疲れる読書だった。
評伝とは言いつつ、ところどころ、ゴシップ記事かと思う
ような箇所もあって、
故人のことを、どうしてそこまで…と思わないでもない。
第一、子どもにとっては、いや、大人の読み手であっても、
石井桃子さんの恋愛や嗜好など、
本を読むのに必要ないことではないか?
それも、自らは、表に出されなかったということは、
人には知られたくなかったこともあるはずだし、
石井さんは、そういうことを、大事にされていた方のように
思われる。
だから、余計に、なんか覗き見しているようで、
こっちの気分が安定しないので、読むのに時間がかかる。

実際に読んでの、石井桃子さんに関して感じたことは、
また別の感想として、とにかく、
この本を書き上げた著者には、大変な時間とご苦労が
あったことは、確かだろうが、
それらすべてを(すべてではなかろうけど)こうやって、
人目にさらすということが、
石井さんの功績を高く評価するということとは、
別物のような気がするのだが、どうだろう?

1カ月かけて読み上げたけれども、
河出書房新社から出ている石井桃子さんのエッセイ集4冊や、
『子どもの図書館』『石井桃子のことば』、
何より、石井桃子さんの著書や翻訳書以上に
私の心に強烈に刺さったものは、一つもなかった。

TVドラマの花子とアンのときも、
原作は、お孫さんが書かれていて、凄く感じたが、
近しい人とは言え、故人の人生を振り返るということを、
世間に公表するというのは、どういう気持ちでやって
いらっしゃることなのだろう?
墓の中まで持っていくつもりのことかもしれないのに、
どうしてほじくり返しちゃうのだろう?
人一人の人生だから、いい時も悪い時もあるし、
人に話したくない、話せないことも、多々あるはずで、
そこのところは、本人の意思は無視されていいのか?
こういうのは、名誉棄損とは言わないのだろうか。

もし、私がそういうことをされたら…
(人が知りたいと思うような人生は歩んでいないが)
私はその人をきっと恨むだろうな。
哀しいかな、死んでからでは、恨むことも出来ない。
一体、こういう本を出す人は、
人に伝えたいことを、どういう風に捉えているのだろう?と、
不思議に思うと同時に、何だか、不快感を覚えるのである。

あぁ、5時になった。早く寝なきゃ。
続きはまた、別の機会に。