明日、図書館へ行こう!
明日は、久しぶりに最寄り図書館が開館する日。
2週間近く特別整理期間だったので、利用できなかったのだ。
この2週間の間に、平野啓一郎熱が下がるかと思ったら、
平野啓一郎氏の著書など、いろいろ読んでいくうちに、
古井由吉氏の小説、他、いろいろ読みたくなった。
『マチネの終わりに』の主要参考文献の一つ『詩への小路』はもちろん、
藤沢周氏がテレビで紹介していたおすすめの『辻』も!
と・・・あれれ?
図書館のHPにログインできない。
去年の特別整理期間後も、パスワードの初期化かなにかで、
ログインできないってことがあったっけ。
とりあえず、仕方なく、読みたい本を検索してみた。
ががーーーん!
『詩への小路』も『辻』もない・・・。
『「生命力」の行方』から、これも!と思っていた
『古井由吉自選作品二』もない。
『水』があるようだから、これを借りてこようかな。
とにかく、明日開館するから、リクエストする本も忘れないようにしなきゃ。
又吉直樹氏『夜を乗り越える』も、ぜひ読みたいし。
もう一冊気になる本があり、こちらは貸し出し中だったので予約済み。
昨日の夜、『「生命力」の行方 変わりゆく世界と分人主義』を
再読していたのだが、古井由吉氏の
「呆然とする時期がたっぷりあったほうがいい。
ところが今はそういう暇(いとま)を与えない世の中でしょ」
という言葉が、以前ゴロウデラックスで聞いた、
あの、優しげなおじいちゃんのお話をする声とは別の、
きっぱりと批判的に聞こえる厳しい声が響いたような気がした。
「日本語は命令法の語法が衰退してしまった」
って言葉もね。
そうそう、そうなんですよ!と、思わず大きく何度も頷きたくなる。
ゆっくり、じっくりと、古井氏の作品を味わうことができるならば、
まだまだ私にもゆとりがあるってことだな。
ある意味、自分を試す読書となるかもしれないが。
読みたい本がありすぎて困る。
長生きしたとしても…
人生で読める本なんて、ほんのちょっぴり。
それに、読みたい!と思ったときに、出会えるかどうかというのは、
大変重要な問題である。
自分の中で、読みたい!という気持ちをあたため、あたため…
その最高潮のときに出会えるってことが、余計に読書熱を上げるのだ。
明日、そういう本との出会いがありますように。