とみいよむよむにっき

本のこと、ベランダのこと、おはなし会のこと、日常のあれこれ。

仕込み前

子ども時代に本棚に並んでいた本のことを、
最近よく思い出す。
1年または半年に一度、バスに乗って
久留米の書店で、自分で選んで買う一冊。


その中の一冊『耳なし芳一
有名な小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの怪談がいくつも入った本。
表題作と並んで、私の頭に残っているのが「鳥取の布団」だった。
そして、それを読んでいたころから30年後、
ストーリーテリングの「鳥取の布団」に出会った。


私の記憶している「鳥取の布団」は、不憫な兄弟の話で、
子どもの頃読んだ本のことも、怪談というよりは、
可哀そうだなぁと思いながら読んだように思う。
耳なし芳一」も、怖いというより、芳一は可哀そう…って。


知っている話でも、眼で読むのと、
耳で話を聞くのとでは、印象ががらりと変わる。
少し前、講演会で聴いた話。
文字文化、印刷技術が入ってくることによって、
黙読が当たり前になって来たけれども、その歴史は浅く、
言葉・おはなしを聴くというのが、普通であった。
そういえば、そうだよなぁと感じたのであった。
本を目で読むというのは、本当に孤独というか、
本と自分の間には、他人が入り込む余地がない。


ストーリーテリングは、おはなしを人の生の声・言葉で伝えるもの。
読書ボランティア講座というのに、
まぁ、行ってみるかくらいの気持ちで参加して、
絵本の読み聞かせに役立てるはずの読書ボランティア講座だったのにはまったのはこのストーリーテリングだった。


ストーリーテリング講座に初めて行ったとき、
人に話をしてもらうって、心地いい〜♪と感じたのが一つ。
あと、おはなしをいくつか聴いた後の、
なんというか、心地よさとは反対に、
ちょっと疲れを感じるというか…
それも、まぁ心地よい疲れで、これはなんだ?と感じたのが一つ。
そして、そのストーリーテリングの先生を、
なんかわけもなく好きになってしまったというのが一つ。
それで、おはなしを覚えるという、
はたからは、なぜ、わざわざ覚えなきゃいけないの?
朗読じゃいけんの?って思われるようなことに、
足を突っ込んでしまったのである。


パートの仕事・家事の合間に、おはなしを覚えるのは結構大変で、
一つのおはなしを仕上げるのに、何カ月もかかる。
(脳の働きがあんまりよろしくないのでね)
それより大変なのは、語るおはなしを選ぶこと。
あれもいいな、これもいいな、と、
語りたいおはなしは沢山あるのだけれど、
私の脳みそに限界があるし、練習の時間にも限界があるし、
まずもって、覚えたところで、そのはなしを
人に語る機会があんまりないし…。
でも、なぜかやめられなくなってしまった。
だって、見知らぬ子どもたちが、私の中から
おはなしを引っ張り出すって感じを、味わってしまったので。
おはなしに忠実に…先生の言葉を胸に、
今日も、次はどのおはなしを練習しようかな〜と、考えている。


この、おはなしを選ぶ段階のことを仕込み前と自分で勝手に言っている。
おはなしが決まって、覚え始めたら、
あとは覚えるのみで、この段階が仕込みとなるが、
仕込み前が大変なのだ。
そのおはなしを、好きであることが第一条件。
そのあとに選ぶポイントとなる
聴き手にふさわしい内容か、時間はおはなし会に適当か、
私のかたりで、そのお話のイメージが壊れないか…
なんてことを考えると、候補がごろっと減ってしまう。
口に出して読んでみたら、ここの言い回しが私には無理…
っていうのもある。
(ラ行が続くとダメで、早口言葉も苦手。滑舌悪い人だから)
だから、仕込み前で、選んだおはなしを、仕込み始めて、
途中でダメだ!と投げ出すこともたびたびある。


語ってみたいおはなしは多々あるが、いろいろおはなし会に行って、
いろんな人の語りを聴くと、
このおはなしはあの人の語りがとても素敵だったとか、
あの人のこの語りは、凄く伝わったとか、
単にあの人のこのおはなしが好きとかいう感想がついてきて、
その人のおはなしが素敵すぎて、私なんかとてもとても…
ってことになって、また候補から外れていく。
とくに、心の師である(私が勝手にそう思っている)先生の語りは、
とても素朴なのに、力があって、聴いてておはなしの世界に
勝手に連れて行かれるのが気持ちよすぎて、
たぶん、先生のおはなしの選び方がいいのだろうと思う。
たくさんあるおはなしの中から、自分が語るのにふさわしいのは、
どういうおはなしかと考える仕込み前の時期が、
一番楽しいし、一番辛い。
何が辛いって、こう…深みのあるおはなしが、
私には語れそうにないって痛感してしまうとこである。
ストーリーテリングって、どうも人となりが出てしまって、
私などにはどうも無理、っていうおはなしが多いことに気づく。
自分の精神の未熟さを感じ、それが辛いのである。
ま、めげずにあれこれチャレンジするが、
やっぱり仕込みが巧くいくことは稀である。